2012-12-23

シェルターに作られる学校



現在、アレッポのほとんどの小・中学校は機能していないという。この危険な治安状況の中、親は子供を学校に送る事ができず、または授業ができる状況ではないことの他、学校自体が破壊されてしまっている場合もある。

しかし、このような状況の中で、学校を作ろうと動いているグループもある。

カッラーセ、あるいはブスターン・アル=カスルはアレッポでは貧しい層の人々が住む地区であるが、紛争以降、さらに状況は厳しくなっている。度重なる戦闘は、シリア中で家をなくし、家族をなくし、収入のすべを失った人々を生んでいるが、この地区のような極めて貧しい地区の人々は、国外に出るにも頼るべきものがない。また多くの人が、死ぬのであれば自分の住んでいた土地で死にたい、と地区から出ない決意をしている。

学校作りを始めたグループは、この地区を紛争当初から支援し続けている若者たちで、緊急支援物資を国外居住のシリア人有志から集め、ここに残った人々を支えて来ているが、この数ヶ月のあいだこのような状況であっても子供の教育をないがしろにしてはならない、と学校をつくりはじめたのである。

しかし、「地上」に作ると、攻撃にさらされる可能性があるということで、地下のいわゆるシェルターに教室を用意しているという。教師は、もと一般学校の教師の内の有志を募り、教材、テキストを今収集中のようだ。生徒は180人ほどで、新年の開校を目指している。

このグループの一員の若者Bは言う。「僕たちの支援グループの何人かは、支援活動の最中に狙撃をされて亡くなった。そのうちの一人、Mはこの国の将来を考えるたびに、学校機能が麻痺している事を非常に憂いていた。こんな状態だからこそ、子供たちはちゃんと教育されなければ、と僕たちは彼の意志を引き継ぐことにしたんだ。」

「何もないし、先生たちだって、ある程度の給料を払わないと、彼らの生活も危うい。だけど、やらないといけない。そう信じている。」とBは続ける。

シリア人の挑戦は、戦闘だけではない。彼らはこのどん底で将来に挑戦し実践している。

2012-12-12

生きるための算段


「エジプト航空がダマスカス・カイロ便をストップした。アレッポ・カイロ便も16日には止まる。」

アレッポの旅行代理店のJが、2日前に久々にスカイプ通話をかけてきてくれた。しかし、彼のニュースは、シリアが空路でもほぼ封鎖状態になってしまったことを示すものだった。彼はその時ダマスカスのエジプト航空のオフィス二いるという事であったが、いろいろな問い合わせがあるものと見えて、大声で話す周囲の人たちの声に、スカイプ会話は何回も中断された。

ダマスカス・カイロ便のストップは、緊張の度合いが極端に激しくなったこの一週間の状況を受けてのことで、16日のアレッポ・カイロ便が止まれば、外国の航空会社は全てストップした事になる。

じゃあ、空路で国外に出るにはどうすればいいの、と聞くと、シリア航空がひとりベイルートまで飛んでいる。空路で国外に出るには、まずはベイルートへ行き、そこから乗り継ぐことになる、と答えてくれた。

数ヶ月前、アレッポが極端に危険になって来た頃、エジプト航空のシリア代理店であるJは、「僕が進言すれば、今でもアレッポ・カイロ便を停止できる。だけど、今は国外に出たい人がいっぱいいる。僕がやめたらこの人たちが外に出られなくなる。」と、砲撃も頻繁になったアレッポの中心街アズィズィーエのオフィスを閉めなかった。

今回は、エジプト航空関係に関しては中断せざるを得ないが、彼は自分のビジネスを潰すまいと動いている。去る9月には、フランクフルトの旅行代理店関係の見本市にいる、と意外にもドイツから連絡をくれた事がある。その時は、この状況では今に我々のビジネスは壊滅だ。こんな状態だからこそ、次のステップを考えてこんな見本市のような所に来ているんだ、と言っていた。

今回も、ダマスカスでの「残務処理」を終えたら、ベイルートに行き、そこでもいろいろ画策して数日後にアレッポにも戻るとのこと。彼は決してアレッポを捨てない。次の段階が来る事を見越して、動いている。僕たちは最近、「・・を願う」、とばかりしか言わなくなった、と苦笑いをしながら、願いをいつでも現実の行動に変えられる日がくる事を否定している訳ではないことが、伝わってくる。

多くの人が家を追われ、国を出て行くか、否か、あるいは生きるか死ぬかの状況にまで追いつめられている。しかし、にも拘らず、全く予測のつかない将来を視野に入れて、人々は生活する。パンや、燃料が不足したり、なかったり、の日常だけが彼らの関心事ではないのだ。

彼だけではない。甥っ子のハムドゥーも、もう戦闘員しかいなくなった村の家に戻り、死の危険を冒して大学院修了証書を持ち出して来ていた。Aも、論文を書いて、「修士」の口頭試問の手続きを何とか進めようとしている。大学の講師となった元学生の幾人かも、後輩たちのためもあるけど、キャリアになるから、と危険な中を大学の講義に出かけて行く。

「今は、死ぬのは簡単だ、でも生き延びるかも知れないじゃないか。そうなった時のために、死にそうになりながら、書類をとってくるんだ。」そんなものどうでもいい、命を賭けてまでとりに行くものじゃないよ、という私の「忠告」は彼らの現実の前では、「現実的」ではない。