2013-07-27

方向転換




自由シリア軍でトルコ国境に近いイドリブのある町にいたMSがシリアを離れるという決断を下したのは、もう一ヶ月ほど前になる。



彼の妻、つまり私の亡夫の姪と、ある日スカイプがつながり、単独で姑家族のいるトルコのある町に逃れたという事が分かった。しかし、MSは彼女を自分の親元に預けたあと、海路密出国をし、ヨーロッパで政治亡命を申請すると言って出て行ったきり、何の連絡もないとのことだった。



2週間ばかり前、MSからスカイプにメッセージがはいっていた。「今、イタリアにいる」と。これでとりあえず、「無事」に少なくとも国外に出たのだということが分かった。



元シリア国軍の将校で、離反したMSは、今年の春、離反後一時居住していたトルコから再びシリアに入った。自由シリアを人生の究極の目的にした者が、トルコで何をしているのだ、シリアに再び入って、その目的を一にする者たちと合流しよう、とトルコ国境近いイドリブのある地域に入った。死ぬ気のシリア入りだった。



その頃彼は新参兵の訓練を受け持っていたようだ。一度その様子を伝えるビデオを送ってくれた。離反してトルコに居たときには、「自由シリア」への夢はあっても実際はロジ・広報関係をやっているだけで、不完全燃焼だ、再びシリアに戻って、戦線に出たい、そのような忸怩たる思いを持っていたようで、シリアに再び戻った時に来たメッセージには、生き生きとして活動している様子が書かれていた。



しかし、その後、彼の考えていた形で事は進まなくなって行ったようで、自由シリア軍を名乗る、あるいはそれに協力すると見せかけていた集団が、徐徐に彼のような誠実な者たちの領域を浸食し始めたようだ。



彼は何度か、そういった集団からの嫌がらせ、威嚇、彼らの不正な行動などを伝えて来ていたが、最終的に「命を狙われている」とまで告げるようになった。そして、「今は選択の余地がない。まずはヨーロッパに出る」という結論に達したようだ。



彼は離反将校であり、パスポートなど持っていない。どこへ行くにも密入国という形をとらざるを得ない。「彼はその為にいろいろなアレンジをしていたわ」と姪っ子は言っていた。



イタリアに着いたというメッセージを読んでいたら、彼から音声コールが来た。トルコを海路で出てから壮絶な逃避行のあと、一日前にイタリアにいる知り合いのもとにたどり着いた、という。一週間以上、ろくなものも食べていない、家畜のようにトラックや船の貨物室に身を隠していたという。



しかし、彼の最終目的地はイタリアではない。さらに若干疲れをとってから別の国に向かうとのことだった。



革命は無頼の輩たちに奪われてしまったのか、という私の問いに、彼は答える。「いや、まだだ。今のままだったら、誰のために、何の為に戦いを始めたか、という本質が闇に葬られてしまう。」



「これではいけないと今回出て来たが、死ぬのが怖くて出て来たんじゃない。僕だって、生き恥をさらすというのはどういうことか分かっている。僕は軍人だ。だから戦う。しかし、皆の為に戦っていたはずの戦いが、全く妙な、貶められた形になっている。戦いの方向を変えなければいけない。そのためにシリアを出た。本当に苦渋の決断だった。だけど、未だあきらめてはいない。」



「数日後にここを出る予定だ。目的の国に着いたらまた連絡するよ、今からイフタール(ラマダン中の一日の最初の食事)なんだ。」彼は極めて敬虔なムスリムだが、急進的でもなく、狂信的でもない。軍人だが、極めてリベラルな考えを持つ。シリア問題を「色分け」すると、彼のような色がかき消されてしまう。

私は、彼のラマダン月とこれからの旅路が安かれと祈るのみである。




























2013-07-09

包囲




アレッポとイドリブに住む教え子たちが、自分たちの住む地区での包囲のニュースを伝えて来た。



彼らは、砲撃にさらされることを恐れて、数ヶ月前から政府軍制圧下の地区に移り住んでいる。政府軍制圧地域だと、検問が道の至る所にあるものの、少なくとも空爆や砲撃は来ない。



これらの地域で、彼らは親戚の家や知人の家を間借りし、また国外などに移住して空き家になっている場合は、家の管理も含めてそこに住んだりしている。



しかし、この数週間、これらの地区は政府軍制圧下ということで、自由シリア軍に包囲を受け始めた。中に住んでいる人々は様々で、勿論反体制派の人、自由シリア軍シンパの人も多い。しかし、そんな事とは関係なく、『作戦』として包囲作戦がとられている。



包囲。軍と軍との戦いの中では、あり得るオプションなのかも知れない。だがこの包囲の為に、一般の人々は身動きがとれず、また食料品、医療品などの必需品の供給路も閉鎖されてしまっている。イドリブの教え子は、まさしく「中世」の攻城戦だ、と形容する。



それらの包囲をかいくぐって闇で売られている野菜やパンは、わずか5km離れた非包囲地区の10倍にもなっているらしい。例をあげればトマトが1kg400ポンドだとか。騒乱前の価格、25ポンドとは全く比べ物にならない。しかも、供給量は雀の涙ほどもない。猛威をふるうインフレに加えて、包囲地区ではモノの価格は気違い沙汰のようである。



そんなアレッポの包囲地区に住む教え子のRを先日ようやくオンラインで捕まえたとき、彼女は開口一番、冗談を言った。「先生、アレッポで何が起こってるか教えて。きっと日本にいる先生たちの方が、私たちよりももっと状況が分かってると思うわ。だって、こっちじゃ停電でテレビも見られないし、ネットも使えないし。」



日々の食事に関しては、野菜は高過ぎて買えず、日常はとりあえず保存食で食いつないでいるという。「だけど、文字通り、本当に家に何もない人たちがいる。本当に切羽詰まっている。だから、今は物乞いをする人がものすごく多くなりました。昨日もバスの中で、横に乗っていた女の人が物乞いをしていたわ。」



彼女は続けた。「そして、悲しい話だけれど、盗みも増えているの。こんな事は、前はありえなかった。先生も知ってるでしょ?」



ホムスで支援活動を続ける娘の友人Sちゃんからも昨夜、メッセージが来た。彼女の所属する団体には、日本の人道支援団体NICCOから、今回支援金を送ってもらっている。彼女からのメッセージには、「ラマダン月に入るので、送ってもらったお金で基本的な保存食料以外に、お肉を少し買ってあげてもいいでしょうか?」とあった。



彼らは生活の中に、ほとんど選択の余地をなくしている。そして、生活は日一日と締め付けられる。そのなかで、物理的な包囲以上のものが人々の心にのしかかるのだ。
 

騒乱が起こってから三度目のシリアのラマダンは、人々を何重にも包囲しながら始まろうとしている。