2012-07-25

自由シリア軍


甥っ子のハムドゥーが現地の勤務時間にチャットをしてきた。おや、と思い、話し始めると、「今、考古局だけど、今日は、逃げてきたよ」という。

びっくりして、何があったのかと聞くと、街中の考古局の一支部にいたら、近くの地区(バーブ・アル=ハディード)で、バスが炎上しだしたという。銃撃も遠からずのところで始まり、また上空には軍機が飛んでおり、アレッポの半分くらいの地区で衝突が起こっている感じだという。しかし考古局のあたりは、別世界のように普通なので、まずはここに「避難」したらしい。

衝突に関しては、もう話したくないようだった。生活は、と聞くと、またガスの価格の話しになった。この数日、再び狂気の値上がりで、昨日、今日で4500ポンドになったという。つい1週間前に、3200ポンドだと聞き、仰天していたのに・・・。ラマダン月に入り、断食後の食事には、少なくとも火を使って料理したものを食べたいものだ。しかし、ガスがないと・・・。

この値段が上がった、あの値段が上がったという話しのあとで、「結局僕はなにをすべきなんだか。自由シリア軍に入るべきか?」などと言い出した。

何を言ってるの、と言おうとしたら、「M叔父さんも自由シリア軍に入ったんだ。」という。え、だって彼はトルコに逃げたんじゃ?と言うと、トルコに逃げたあと、警察を離脱したことを表明して、向こうで自由シリア軍に入ったと言う。

その他、彼の知り合いは、ずいぶんたくさん自由シリア軍に入っているらしく、一種の「自由シリア軍に入る雰囲気」が流れているようである。しかし、戦闘が激化する中、自由シリア軍に参加するのは、冗談ではない。まさしく、命の問題になる。日常生活をしていても、命の保障はないような事態になっているのだから。

彼らの「自由シリア軍」への参加の思いは、単なる思い付きではないと思う。国際社会とやらは、双方に武器を納めよ、と言う。そして、私は、血を流さないで、と言う。しかし、人々は現地の切実さの中で、やはり何か決断を迫られる。

これが、「戦闘が始まった」ことの本当の意味なのか。

ハムドゥーの言葉に返す言葉が見あたらなかった。

ぼうっとしていると、「今日はもう仕事にならないから家に帰る。またね」と言って、彼はオンラインから消えた。