シリアのこの状況は数年続く。
そんな予想は、昨年あたりからあった。
しかし、今年になって、そして今になって、その予想はより現実味を帯びてきている。
この中で、何かをしても、結局、何もなりはしない。
革命家を気取った奴らは、とっくの昔に国外に逃げやがった。
僕の人生はどうなるのだ。戦闘と、流れる血と、涙と、欠乏の中で過ぎて行くのか?
そう考える。
そう考えると、もうたまらないのだ。
いつでも出るぞと、なけなしのお金を使って、ヤミの出国やその他、いろいろを画策する。
でも、やはりシリアの中で人は生きている。それを僕は知っている。
出られないひと。出ても帰って来た人。出たり、入ったりを繰り返す人。出てしまい、とりあえず一息はつくものの、深い望郷の念にとらわれている人。
いずれの場合にも、気持ちの起点はシリア。
今日ここにいても、明日ここにいられるのか、明日もここにいたいと思い続けられるのか、僕にはわからない。
だけど今、僕は「とりあえず」出来る事をする。
遺跡に行って、遺跡を見回って、写真を撮って、記録する。これが僕のシリアでの最後のトライアルのような気がする。
「地域司法委員会」には僕が遺跡を監視する事について、話をつけた。
今のところ、僕の言い分を受け入れてくれている。ある意味、素朴な奴らだ。
遺跡に何かあったら、僕に連絡するようにと、近くに住んでいる人の中に、連絡係のような者も「とりあえず」見つけた。
そこには、破壊があり、不法発掘があり、偽造があり、噓偽りがあることは百も承知だ。
美しかったサン・シモン遺跡は、建物の石がバラバラにされているという噂も聞く。噂だから、本当のところはわからない。あそこは別の「地方司法委員会」の管轄だ。状況のいい時に、彼らと話をつけて行ってみるか。
僕たちは、現在を売った、将来も売っぱらった。
そして、過去さえ切り売りしている。
それでも、まだシリアの空はこんなに美しい。
アレッポ北西部、ムシャッバク遺跡
2014年7月22日
ハムドー・ハッジバクリー撮影