「針と糸さえあれば、何か出来るだろう」、「手仕事をしていれば、悲しい状況を、一瞬でも忘れる事が出来るだろう」・・・私たち「イブラ・ワ・ハイト」の活動は、極めて素朴なところから始まった。
最初に参加しようと言ってくれたシリア人女性たちのうち、トルコに避難している人たちは、毛糸編みくらいならばやった事があるといった人たちで、最初に送られて来た刺繍には、コメントが山ほどつけられた。
しかし、あれから1年と少しが経ち、彼女等の刺繍技術は素晴らしく向上した。このレベルに達したのであれば次のステップに踏み込んでみようと、7月には恐る恐る、オーガンジーへの刺繍を頼んだ。出来上がってきたのは、裏表の見分けがつかないくらい丁寧に刺した、可憐な作品だった。
技術的な上達もさることながら、伝統柄に彼女らの個性を盛り込んだり、自分なりの創作を楽しんでいるのが、布に刺し込まれた糸の輝きから読み取れる。彼女らのオリジナルモチーフである「花の咲いた枝にとまる小鳥」は、今にも歌を歌い出しそうだ。
自国外での厳しい避難生活を送る彼女らの手で作られたものが、逆に私たちを幸せな気分にしてくれる。
一方、シリア国内のダマスカス近郊でも「イブラ・ワ・ハイト」に参加している女性たちがいる。昨年8月下旬、化学兵器攻撃の前後の爆撃で、メンバーの女性が2人亡くなったことは、以前このブログでも報告したことがある。
しかしそれ以降も、国外難民以上に厳しい環境にありながら、不定期にではあるが作品を送り続けて来てくれている。”No news is good news” というのは、彼女らにはあてはまらない。刺繍というメッセージだけが、彼女らが無事な証拠である。
彼女たちからの初めての作品は、昨年7月に届いた。シリア伝統刺繍にある、古代神話起源かと思われる女神のモチーフを「発注」したところ、原画よりも可愛らしい顔の「女神様」になってやって来た。原画のようなアルカイック・スマイルではなく、現代のシリア女性のもつ、ほっとする、優しい笑顔で「女神様」は微笑んでいた。この笑顔の「女神様」は、今年の初頭に届いた便にも入っていた。中には、おどけた笑顔の「女神様」もいた。
ところが、今年春以降にやって来た「女神様」からは、その笑顔が消えていた。微笑もうと無理をしているような、そんな表情に見えた。私の思い過ごしか?しかし、グループメンバーも皆、同じ感想を抱いた。
「その時の気持ちが、糸使いの隅々に出るものなんですよ」ある展示会に作品を出した時、日本の服飾製作関係の方も言っておられたという。
昨日、ダマスカスチームのコーディネーターをしているSにその事を伝えると、「わかる?そうなんだ。国外だと、少なくとも爆弾が降ってくる事はない。だけど、ダマスカス近郊にいる彼女等の生活は、命に関わる危険と常に隣合わせ。爆弾だろうが何だろうが、降って来ない日はない。だから、凍り付いたような『女神様』の表情は、そんなところで過ごしている彼女らの表情を表してるんだ。」
「イスラム国」騒動の異様な高まりの中、シリアを取り巻く世界は、この「女神様」を微笑ます術などは眼中になく、いびつな急進化を続けるのみである。
シリアで、花咲く梢に小鳥が歌う日はまだ遠く、「女神様」は血の涙を流す。
そして厳しい冬が、四たび近づいている。
「イブラ・ワ・ハイト 」 https://www.facebook.com/Iburawahaito