「メンバーの数人が、シリアに戻ってしまったの。トルコでは家賃だの何だのと、出費が多すぎるから仕方ないのだけど。」
数ヶ月前に、トルコで「イブラ・ワ・ハイト」のコーディネーターをしてくれているMさんは、そう伝えてきた。
「日本での販路も少しずつ開けているのだから、他にメンバーを募っているけど、でもシリアに帰っていった人たちのことが心配だわ。シリアに帰っても、みな当てがある訳じゃない。しかも、いろいろな地方に散り散りになるから、接触を続けていくのはかなり難しいし・・。」
「イブラ・ワ・ハイト」で刺繍製品を作り始めて、もう少しで2年になる。この2年の間に女性たちのスキルは、驚くほど上がり、彼女らもそれを喜んでいた。単に収入だけではなく、技術も身についたと。そして精神的にも少し落ち着いたと。
しかし、収入の足しにはなるが、それで一家が食べていくにはまだまだ厳しい状況の中、一部の女性たちは、危険なシリアに戻って行くという選択を迫られている。
もしシリアに戻っても、手だてがあるなら刺繍を続けてほしい。刺繍を作って、トルコに送ることはできなくもない、送金もなんとかなるはず。そう思いつつも、目の前には、気の遠くなるような厳しい現実がある。
そんなとき、Mさんが嬉しいニュースを伝えて来た。小さな「くるみボタン」用の刺繍材料一式を持ってシリアのイドリブに戻ったウム・イマーンが、刺繍を完成させて、人づてでトルコまで送ってくれたという。
「彼女がシリアに帰るとき、刺繍を続けたいと言っていたので、材料を持たせたの。でも本当に出来るかどうかは不安だった。でも、やってくれた。良かった!150枚も送ってきてくれたのよ。もし今度シリアに帰る人があっても、出来るものなら、こんな感じで続けることが出来るように算段をしたいわ。」
それが私たちの願いでもある。「針と糸」さえあれば、どこでも出来る仕事。それが基本。だから、タンポポの綿毛が飛びさり、思いもかけない地で花を咲かせるように、この技術もどこかに移動し、そこで小さな花が咲けばいい。そして、その花の種子がまた別の所に飛び、また花を咲かせればいい。
ウム・イマーンの一連のニュースは、厳しいシリア人たちの状況を私たちに改めて知らせてくれたが、と同時に、雑草のようにたくましい彼女の意志が、逆に日本にいる私たちの願いを再確認させてくれた。
そんな矢先、イドリブの町を反政府側が制圧したとのニュースが流れた。しかもその直後から、イドリブの町や周辺に、政府軍側が空爆を激化させた。「解放」を聞いて町に戻って来た人々は、またしてもイドリブの町から逃げざるを得なくなった。
やっと自分の家に戻ったウム・イマーンも、他の人たちと同様、イドリブの町を離れた。周辺の村に避難したらしいというが、彼女の消息はそれ以降途絶えている。
タンポポの綿毛は、今、どこをさまよっているのだろうか。
追記
MさんにはZさんという娘がいる。彼女はジャーナリストで、シリアとトルコを常に行き来している。彼女は「今度またイドリブに行くから、彼女の行方はそのときに調べるわ」と言ってくれている。
またウム・イマーンの製作した150枚の刺繍は、今月末に私たちの元に届く予定である。