ホムスで人道支援をしながら、我々の刺繍の活動に関わろうとしているBのことについては何度か書いた。
彼女は、ホムス・ワイルを嘆き、アレッポを嘆く文字を刺繍布に縫い込む。小さな布切れに彼女の慟哭を表現する。
私たちは彼女の刺繍に、「愛」や「平和」、「希望」の文字を望んだ。しかし、彼女は刺繍のひと針ひと針に嘆きを込めることしかできない。「愛」や「平和」は私たちの気休めでしかない。今では誰も耳を傾けない不条理への訴えが、ほつれた糸の端に見え隠れする。
彼女は、この刺繍をメッセージとして、なんとか私に届けようとしている。世界が殺し合いの映像を通して様々な憶測をするなか、彼女の刺繍は紛れもなく今のシリアに生きる女性の声を代弁する。
つい先ほど、彼女からメッセージが来た。拘束されるかもしれない、とメッセージは告げる。彼女の包囲地区への支援は、一方では「反政府運動」というレッテルを容易に貼り付けることのできるものなのだ。
ラマダン明けイードに私たちが送った少しばかりのお金で、多くの人が久しぶりに肉を食べることができた、と喜ぶ彼女に、このような「レッテル」を貼ろうとすることの愚かさを、今更ながら私は憎む。
「送ろうとしていた刺繍は、信頼する人に預けたわ。何かがあった時のために。」と彼女は言う。
最後に送られてきた写真は、「アレッポ」と刺繍した小さな布片のそれ。未だに稚拙で素朴すぎる刺繍は、彼女の痛みそのものなのだ。