الموت البطيء
ホムスから、待ちに待った刺繍が届いた。2年越しの、願いがようやく叶った。
どれをとっても我々が見本として送ったモチーフには程遠く、布の端は無造作に「処理」されている。
昨年より幾度かこの刺繍の写真が送られて来ていたが、あまりの稚拙さに、実際なんと感想を送って良いものやら、戸惑っていた。しかし、童画のような刺繍の色合いに、そこはかとなく彼女らの茶目っ気を感じた。
ただ、同時に、彼女らの刺繍には、黒い糸で表現されたホムスの時計台や、土にまみれたパンと涙、降り注ぐ銃弾、包囲された「アレッポ」が混じる。
ホムスは2年前に政府軍により「解放」された。アレッポへの激しい空爆のニュースは、現在ニュースでもしばしば報道されるが、「解放」されたホムス近郊の町が未だに「包囲」されていることは、話題に上らない。
Bは、果敢にこの包囲された地域ワイルに支援物資を入れようとしているが、常にそれが成功するわけではない。以前にも書いたが、彼女は一度拘束され、今でもマークされている。
最近の彼女は私へのメッセージで、人々への「不信」「疑心」を嘆く。
「不安が常につきまとっている。いつも、誰かに自分を見張られている気がする。」
明日という日は来る。しかし、その日が良いものになるとは、誰も信じていない。自分たちが向かう方向を考えることすら、自嘲的な行為となる。自分が今まで信じてきたものを暴力的に否定する、不条理な力に迎合するしかないのか?彼女はそういった輩を、この数年の間、なんと多く見て来たことか。
包囲された地域での物質的欠乏は、激しい。だが、今それ以上に激しいのは、以前のコミュニティーが基本として持っていた信頼・安心感の欠乏である。
「包囲」の中で、「死」はゆっくりと忍び寄る。
彼女は途切れ途切れのメッセージの中で、自問し、抗う。彼女らの童画のような刺繍の中にもその葛藤が見え隠れしている。