自由シリア軍でトルコ国境に近いイドリブのある町にいたMSがシリアを離れるという決断を下したのは、もう一ヶ月ほど前になる。
彼の妻、つまり私の亡夫の姪と、ある日スカイプがつながり、単独で姑家族のいるトルコのある町に逃れたという事が分かった。しかし、MSは彼女を自分の親元に預けたあと、海路密出国をし、ヨーロッパで政治亡命を申請すると言って出て行ったきり、何の連絡もないとのことだった。
2週間ばかり前、MSからスカイプにメッセージがはいっていた。「今、イタリアにいる」と。これでとりあえず、「無事」に少なくとも国外に出たのだということが分かった。
元シリア国軍の将校で、離反したMSは、今年の春、離反後一時居住していたトルコから再びシリアに入った。自由シリアを人生の究極の目的にした者が、トルコで何をしているのだ、シリアに再び入って、その目的を一にする者たちと合流しよう、とトルコ国境近いイドリブのある地域に入った。死ぬ気のシリア入りだった。
その頃彼は新参兵の訓練を受け持っていたようだ。一度その様子を伝えるビデオを送ってくれた。離反してトルコに居たときには、「自由シリア」への夢はあっても実際はロジ・広報関係をやっているだけで、不完全燃焼だ、再びシリアに戻って、戦線に出たい、そのような忸怩たる思いを持っていたようで、シリアに再び戻った時に来たメッセージには、生き生きとして活動している様子が書かれていた。
しかし、その後、彼の考えていた形で事は進まなくなって行ったようで、自由シリア軍を名乗る、あるいはそれに協力すると見せかけていた集団が、徐徐に彼のような誠実な者たちの領域を浸食し始めたようだ。
彼は何度か、そういった集団からの嫌がらせ、威嚇、彼らの不正な行動などを伝えて来ていたが、最終的に「命を狙われている」とまで告げるようになった。そして、「今は選択の余地がない。まずはヨーロッパに出る」という結論に達したようだ。
彼は離反将校であり、パスポートなど持っていない。どこへ行くにも密入国という形をとらざるを得ない。「彼はその為にいろいろなアレンジをしていたわ」と姪っ子は言っていた。
イタリアに着いたというメッセージを読んでいたら、彼から音声コールが来た。トルコを海路で出てから壮絶な逃避行のあと、一日前にイタリアにいる知り合いのもとにたどり着いた、という。一週間以上、ろくなものも食べていない、家畜のようにトラックや船の貨物室に身を隠していたという。
しかし、彼の最終目的地はイタリアではない。さらに若干疲れをとってから別の国に向かうとのことだった。
革命は無頼の輩たちに奪われてしまったのか、という私の問いに、彼は答える。「いや、まだだ。今のままだったら、誰のために、何の為に戦いを始めたか、という本質が闇に葬られてしまう。」
「これではいけないと今回出て来たが、死ぬのが怖くて出て来たんじゃない。僕だって、生き恥をさらすというのはどういうことか分かっている。僕は軍人だ。だから戦う。しかし、皆の為に戦っていたはずの戦いが、全く妙な、貶められた形になっている。戦いの方向を変えなければいけない。そのためにシリアを出た。本当に苦渋の決断だった。だけど、未だあきらめてはいない。」
「数日後にここを出る予定だ。目的の国に着いたらまた連絡するよ、今からイフタール(ラマダン中の一日の最初の食事)なんだ。」彼は極めて敬虔なムスリムだが、急進的でもなく、狂信的でもない。軍人だが、極めてリベラルな考えを持つ。シリア問題を「色分け」すると、彼のような色がかき消されてしまう。
私は、彼のラマダン月とこれからの旅路が安かれと祈るのみである。