2014-03-28

アーモンドの花



シリアの春は、花でいっぱいだ。



まだ少し肌寒い2月の末から3月にかけて、水仙の花束を街頭で売るのを見かけるようになる。可憐な水仙の売り子には、無精髭をはやしたような男性も多いが、それでも、みなニコニコ顔で、「いいにおいですよ」などと花束を差し出してくれる。春を一番に受け取る瞬間だ。



次にシリアに春が来たのを感じるのは、アーモンドの花が咲き始める頃だろうか?サクラにどこか似ているが、私たちがよく見かけたのは、もう少し白っぽく、もう少し涼しげな風情をもつ種類だった。アレッポ地方特有の赤い土と、葉の緑、花のうす桃色。まだ少しだけ冷たい風が、梢に流れる。アーモンドの木のそばには、いつもしんとした、新しい春の空気があった。



アーモンドに少し遅れて咲くのがムシュムシュ(杏)の花。ムシュムシュはもっと桃色が濃く、アーモンドよりも甘く賑やかな雰囲気を与えてくれる。花のつきかたも密で、かたまって咲いていたから、そんな印象を受けたのかもしれない。



普段はオリーブの木ばかりと思っていた場所にも、春になるとこれらの木が花をつけて存在感を示し、下草の中にも色とりどりの花があふれる。花の絨毯とはこのこと。オリーブの葉も、負けじと春の陽に輝く。



この季節、人々は、郊外へと繰り出す。バーベキュー用の道具や材料、タッブーレ(*1)用のパセリのみじん切りであふれる大きなタライ、お茶を湧かすためのバッブール(*2)をもって。ナイロン袋にいれた、ガラス製のティーカップをがしゃがしゃいわせながら。



今頃は普通の乗用車に乗る人も増えたが、それでもまだトラジーネ(バイクに荷台を組み合わせた乗り物)は健在で、これに家族をのせて、みんなでわいわい言いながら野に向かう。



ある年、日本から来た友人たちと少し遠出をして、地中海沿岸、ラタキア方面に「お花見」に出かけたことがある。アレッポからラタキアに行くには山を越えなければならない。しかし道中にはお花畑あり、アーモンド並木あり、ムシュムシュ並木あり。春の匂いを満喫しながら海に出る。

春の地中海は、ぬけるように碧い。春の陽は水面で、きらきらと踊っている。内陸部とはまた赴きの違った春。でも春爛漫。私たちが「トルコ富士」と名づけていた山が、北の方に霞んで見えていた。



以前、春は、当たり前のように来た。



しかし、今日、そのラタキアに住む友人から届いたニュースは、今シリアに春はないことをあらためて知らせてくれた。



数日前、海岸部にあるトルコとの国境カサブの町を自由シリア軍が制圧したという報道があり、その後、自由シリア軍はさらに周囲の村落部を奪取している。しかし、その反動か、一方の政権側の民兵たちは、今日現在、ラタキア市街にある商店街の襲撃を始めている。



海岸地方は、シリアでは状況が唯一、他よりは「まし」であったため、他地域からの避難民が流れて来ている。しかしここに来て、市民たちは、これから何が起こることを予測もできず、ただただ、運命を待ち受ける。



「もう、慣れたと思っていた。・・だけど、今度はついにラタキアだ。しかも市街地・・」友人は、それ以上のことを語らずにネットから消えた。カサブに避難していたアレッポの友人は、再び危険なアレッポに戻らざるを得なくなったとも聞いている。



銃声はあの花畑にも鳴り響いているのだろう。アーモンドの木は、今なにを思って佇んでいるだろうか。



1 挽き割り小麦を入れたパセリのサラダ
*2 ポータブルのガスコンロ

2014-03-04

気弱な勇士



娘の友人の友人でホムスに残るアフマドは、今時の日本語で言えば、草食系にあたるのだろうか。彼には直接会ったことはないのだが、メッセージからは気弱なイメージが伝わって来る。一度写真を送ってくれたが、確かに優しげな風情を持つ「男の子」である。



ずっと優等生だったようで、大学では、工学部の通信工学科にいたという。シリアなどの中東では、エンジニアや医者はエリートコースということになっており、かれも順調に行けば、通信技師になってそれなりのエリートコースを歩むはずだった。



しかし、他の多くの学生と同じように、このシリア危機の中で、デモに参加し、大学に居続けることが出来なくなった。結局勉強は中断したままだ。「シリアにこのまま留まっていたら、エンジニアになるという僕の夢は、達成出来ない。何か日本でも、他の国でもいいから、奨学金はないのだろうか?」と何度か聞かれたことがある。



こんな風で、自分の将来にはなにも明るい希望が見出せないが、彼はずっとホムスでも最も状況の悪い地域を対象にして支援活動を行なっている。友人たちと学校に行けないでいる子供たちのための教育プログラムも始めたらしい。



ある時、支援活動中のこんな経緯を話してくれた。



ホムスには何ヶ月にもわたり政府軍に包囲されている地区があるが、そこに彼らは許可を得て、少しばかりの支援物資を搬入することもある。しかし検問を通過するのはその度に至難の業で、時々兵士たちに震え上がるほど脅される。



その日も、支援物資を運び込もうと検問まで行き、交渉が終って中に入ろうとすると、彼は呼び戻された。そして何も言わずに、いきなりビンタを食わされた。そして「髪が長い」「今度切ってこなければ、処刑だ」と脅された。



彼は、その後、急いで髪を切った。しかし、兵士たちの脅しを思い出しては、今度行く時に何をされるかわからない、と怯えていた。「支援に行くのを躊躇してしまう、本当に怖いんだ・・。」と「弱音」を吐いた。



この事件のあと、彼はかなり悩んだようで、「外国になんとかして出ることを考えている。ほぼ決心した」とその後のメッセージには書かれていた。



2日ほど前に、彼と久しぶりに話した。昨今の「国際会議」の成果でホムスに国連からの人道支援は入ったかと聞くと、国連の支援は政府軍制圧地域にのみ、彼の居る「解放区」には支援など来る訳もない、とのことだった。



彼は、全てがジョークだと言って、この閉塞状況を激しく嘆いたが、最期に「でも」と切り出した。



「この前、シリアから出たいって言っていたでしょ?しかも、ほぼ決めたはずだった。」



「だけど、今、子供の教育プログラムやっていて、子供達を見てたら、この子達を残して、国外なんかに出られないって、そう思った。僕たちが出て行ったらこの子たちはどうなるんだろうって。」



「人間って、やっぱり最期まで夢を見る。だからいつかは絶対、と思うけど、今は・・やっぱり出られない。」



彼の思いは痛いほどわかった。この状況での、大きな選択。私は思わず、君ってなんて勇敢なんだろう、と言った。



彼は、私の言葉を打ち消して「え、全然そうじゃないよ、爆撃の音が今でも怖くてしょうがない」と気弱なことを言った。