娘の友人の友人でホムスに残るアフマドは、今時の日本語で言えば、草食系にあたるのだろうか。彼には直接会ったことはないのだが、メッセージからは気弱なイメージが伝わって来る。一度写真を送ってくれたが、確かに優しげな風情を持つ「男の子」である。
ずっと優等生だったようで、大学では、工学部の通信工学科にいたという。シリアなどの中東では、エンジニアや医者はエリートコースということになっており、かれも順調に行けば、通信技師になってそれなりのエリートコースを歩むはずだった。
しかし、他の多くの学生と同じように、このシリア危機の中で、デモに参加し、大学に居続けることが出来なくなった。結局勉強は中断したままだ。「シリアにこのまま留まっていたら、エンジニアになるという僕の夢は、達成出来ない。何か日本でも、他の国でもいいから、奨学金はないのだろうか?」と何度か聞かれたことがある。
こんな風で、自分の将来にはなにも明るい希望が見出せないが、彼はずっとホムスでも最も状況の悪い地域を対象にして支援活動を行なっている。友人たちと学校に行けないでいる子供たちのための教育プログラムも始めたらしい。
ある時、支援活動中のこんな経緯を話してくれた。
ホムスには何ヶ月にもわたり政府軍に包囲されている地区があるが、そこに彼らは許可を得て、少しばかりの支援物資を搬入することもある。しかし検問を通過するのはその度に至難の業で、時々兵士たちに震え上がるほど脅される。
その日も、支援物資を運び込もうと検問まで行き、交渉が終って中に入ろうとすると、彼は呼び戻された。そして何も言わずに、いきなりビンタを食わされた。そして「髪が長い」「今度切ってこなければ、処刑だ」と脅された。
彼は、その後、急いで髪を切った。しかし、兵士たちの脅しを思い出しては、今度行く時に何をされるかわからない、と怯えていた。「支援に行くのを躊躇してしまう、本当に怖いんだ・・。」と「弱音」を吐いた。
この事件のあと、彼はかなり悩んだようで、「外国になんとかして出ることを考えている。ほぼ決心した」とその後のメッセージには書かれていた。
2日ほど前に、彼と久しぶりに話した。昨今の「国際会議」の成果でホムスに国連からの人道支援は入ったかと聞くと、国連の支援は政府軍制圧地域にのみ、彼の居る「解放区」には支援など来る訳もない、とのことだった。
彼は、全てがジョークだと言って、この閉塞状況を激しく嘆いたが、最期に「でも」と切り出した。
「この前、シリアから出たいって言っていたでしょ?しかも、ほぼ決めたはずだった。」
「だけど、今、子供の教育プログラムやっていて、子供達を見てたら、この子達を残して、国外なんかに出られないって、そう思った。僕たちが出て行ったらこの子たちはどうなるんだろうって。」
「人間って、やっぱり最期まで夢を見る。だからいつかは絶対、と思うけど、今は・・やっぱり出られない。」
彼の思いは痛いほどわかった。この状況での、大きな選択。私は思わず、君ってなんて勇敢なんだろう、と言った。
彼は、私の言葉を打ち消して「え、全然そうじゃないよ、爆撃の音が今でも怖くてしょうがない」と気弱なことを言った。