再び、ユーフラテス川流域、ハッブーバ村周辺の話。
シリアで初めて行った遺跡は、ユーフラテス川流域のジャバル・アルーダ(アルーダ山)だったことは、以前にも書いたかも知れない。あの日、私はアルーダ山の山頂にあるアルーダ聖人の小さな祠から、中腹にある5000年前の神殿の跡を見下ろしていた。写真と図面でしか見た事のなかった神殿。時が停まったようだった。
そのさらに向こうにはユーフラテス川をせき止めたダム湖が静かに夕暮れを映していた。対岸の白っぽい石灰岩の岸壁が、夕焼けで、オレンジ色に染まっていた。風が轟々と吹いていた。
その時、私は日本を離れてまだ10日ほどしか経っていなかった。一緒に居た主人と、友人Mの話し声が聞こえて来なければ、どの空間にいるのかを見失いそうだったことを今でも覚えている。2人の話し声は、風の音に遮られながら途切れ途切れに宙を舞っていた。
その後、発掘などを通して、この地方に出かける事が多くなり、メンビジ、メスケネ、ハフサなどの町、ハッブーバの村、そしてそのほかの、点々と散らばるあけっぴろげな集落は、次第に私の日常の風景の一部になって行った。日乾し煉瓦作りの農家、乾いた褐色の土地を背景にしてもはっきり目立つ原色の服を着て農作業をしている女性たち。数百頭の羊を連れた羊飼いは、のんびりとロバに乗って羊を追う。
ここでは人々は、とびきり人なつこく、また客人を大きな笑顔で歓待する。子供たちも最初ははにかんでいるが、親にたしなめられながらも、子供なりのホスピタリティーを示すためにまとわりつく。
これらすべての町や村に、そして人々に、沢山の想い出がある。
しかし現在、この地域全てが「イスラム国」の制圧下に入っている。
夫の大親友であったM(故人)の村、ハッブーバの村落から少しはずれた所に、アレッポへユーフラテス川の水を送り出す「水供給ステーション」がある。そこにはMの弟MDが勤めていた。家はハッブーバ村のMの家のすぐわきにあり、他の親戚とともに、大家族での生活を営んでいた。
数日前、このMの9歳になる息子が銃弾を受けて、亡くなった。「イスラム国」のメンバーが、ある「喫煙者」を発砲しながら追跡していたが、その際に巻き添えを食ったというのだ。
彼を撃った「イスラム国」のメンバーは、ハッブーバから南東に30kmばかり行ったメスケネ町出身の17歳の若者だという。家族は彼を責めたが、彼は「あの喫煙者が悪いのだ」と押し切った。それ以上は誰も何も言い立てる事はできない。
この若者は、ハッブーバ地域の主要部族ではない部族出身である。「平時」ならば、各部族の長老などが出てきて事件の調停を行なうべきところであろうが、今はそのような動きも控えられているようだ。
最近、世界の目は「イスラム国」の動きに釘付けになっている。過激で、不条理な事件がメディアをにぎわせている。そして、ハッブーバのような寒村でさえも、その一部が行なわれている。
しかし、より人々を疲弊させているのは、それと併行して激化している政府軍の空爆である。空爆は、最近、この地域の主要な町、メンビジ、メスケネ、そして「大きな村」とも言うべきハフサにまで、以前より頻繁に行なわれている。
ハッブーバに住むMの娘、Tは言う、「いわゆる「テロリスト掃討」のためにね。だけど、犠牲者のほとんどは普通の人たち。確かに「イスラム国」はいるけど。最終的に、死ぬのは私たち。どっちに転んでもね。」
アルーダ山頂のアルーダ聖人の祠の周囲は墓地である。葬斂があると、遠くからでもよく見える。