パルミラは、世界でも最も美しい遺跡の一つであることに間違いはない。そして歴史的に、考古学的に如何に重要であるか、ということは私が改めて言う必要はない。世界遺産というブランドすら、パルミラには不要。パルミラそのものがあまりにも素晴らしい。
ダマスカスから2時間半ほど、砂漠の中の街道を車に揺られたあと、遥か彼方にナツメヤシの林と暖かな風合いの石灰岩の列柱が見え始める。時間の枠を自然にすり抜けたような感覚に襲われる瞬間。
パルミラには、説明のつかない至福感をもたらしてくれる何かがあった。
今回、ISがパルミラの町を制圧し、さらに遺跡をも制圧したというニュースは、世界中の危機感をかき立てた。イラクでの遺跡の大規模な破壊を受け、この危惧は極めて当然だろう。
私も、ISがパルミラに接近しているというニュースが流れた段階で、非常に動転した。あらゆるメディアで、パルミラ遺跡の危機が叫ばれた。ただ奇妙なことに、人々の殺戮に関しては、遺跡の次に報じられていたような感がある。
もし遺跡の問題がなければ、パルミラ周辺の戦闘は、他の地方での戦闘と同様に、今シリアで行われている多くの戦闘の一つとしてしか報じられなかったのだろうか?
現在、ISのパルミラ制圧のニュースの陰で、シリアでは、アレッポやイドリブをはじめとする各地で、樽爆弾や塩素爆弾などの攻撃が続いている。
一昨日は、アレッポ市内及びその近郊への空爆で、1日で150人とも言われる市民が亡くなった。その地区のうちの一つは、ファルドゥースという地区だ。この地区には、イスラム教にまつわる歴史的な参拝祠などがそこここにある。
90年代末、ここにあるオスマン朝時代のファルドゥース・モスクの修復に若干関わったことがあり、この地区を何週間かに渡って訪れたことがある。この歴史的なモスクは、貧しげな町並みの中にあるが、人々の生活に溶け込んだ存在だった。中での作業中、外では子供たちのはしゃいだ、明るい声がいつも聞こえていた。
あのとき、修復作業で埃まみれになった私たちの顔を洗うのに、近所の少年が水差しとタオルを持ってきてくれたっけ。
ここは、世界遺産に指定されたり、世界中から観光客がくる史跡でもない。だけど、街角の人々の暖かな敬愛の対象だった。「文化財」は、仰々しいお宝ではなく、人々の日々のなかに静かに、しかし確かな存在感をもってあった。
このモスクだけではない。この地区には、そこここに町の「文化財」が転がっていた。そして、普通の人々が、頓着なく「文化財」と共に暮らしていた。
空爆は、文化財というモノと、そこで共存していた人々の生活と、その両者を繋いでいた柔らかな日差しを奪い去った。
ビデオには、瓦礫の中から埃まみれ、血まみれになって助け出される子供が写しだされる。私は、かつてあの子たちがしてくれたように、その顔を拭ってあげることも出来ずにいる。