1月29日夕方、私はエジプトからの招客のエスコートを請負っており、成田に出迎えに向かった。
成田への電車の車窓が、薄昏から徐々に暗くなるのを見つめながら、この一週間のスケジュールよりも、いわゆる「アラブの春」という言葉をぼんやり反芻していた。これより先に訳する機会のあったビデオテープの中で、インタビューに答えたチュニジア女性が、「春」と言う表現ははあまりにも楽観的だわ、犠牲者のことを考えたら、こんな命名は私は受け入れられない、と言っていた。
成田に着き、ネームカードをもち、到着ゲートで招客を待つ。新生エジプトは、衝撃的な元大統領ムバラクの退陣を経験した後、今身もだえしながら歩き始めている。シリア情勢と、アラブ全体の動きを重ね合わせながら、出てくる人をチェックする。
恰幅のいい、しかしアラブのどこの町にもいるような中年の男性が出てきた。K氏である。簡単に挨拶を交わすと、彼は私がシリアに長年いたことをなにかの資料で見たのか、「私の妻もシリア人ですよ。今のシリアの状況を妻と一緒にいつも案じています。」と、言ってくれた。これをきっかけに、都内のホテルに着くまで、エジプトの現在の情況や、シリア情勢に関して、どちらが語るでもなく語った。
家に戻り、明日からの予定を確認しつつ、フェースブックを開けたら、夫の甥っ子からのメッセージで、電話をしてほしい、と彼の電話番号が書かれていた。なぜかなと思いつつ、明日は早い、電話はせずにベッドに入り、少しうとうとしかけたときに携帯がなった。妙な番号が目に入った。こんな夜中に、と思いながら出ると、件の甥っ子であった。
「何でもないんだけど、おじさんが具合が悪くて入院した。」という。胸騒ぎがして、携帯を持つ手が震えた。「何でもないって、入院ってどういうこと?」「今どこにいるの?病院にいるなら、話しをさせて」とだんだん高くなる自分の声に動揺しながら、立て続けに叫んでしまった。彼は口ごもって、「おじさんは誰とも話せないんだ。集中治療室にいる。」と言う。いいほうに解釈しようとした。「中に入らせてもらってよ、日本の奥さんが話したいって言ってる、ってお医者に頼んでよ。」と無理を言った。彼は、短く「おじさんは昏睡状態なんだ。」と言った。
「アラブの春」と言う標語が、このとき私の中でも、残酷な響きを持って聞こえた。