2012-11-19

笑みの消えた顔


今月のはじめにヨルダンのシリア避難者キャンプ(ザアタリ・キャンプ)を訪れる機会を得た。キャンプの周囲は、緑もなにもない、きわめて乾いた土地である。すぐわきにザアタリの集落があるにはあるが、僻地には変わりない。

キャンプの中に入ると、まず目に入ったのが、新しくシリア国境を超えてきた避難者たちに必要最低限の必需物資を配る光景であった。60才くらいの女性が配給されたと思われるマットレスに腰掛け、その娘とおそらく息子の嫁、そして孫と思われる数人の子供たちが彼女を取り巻いている。

話を訊くと、ダラアから逃れてきて、今日の朝早くキャンプに着いたという。足下をみると、女性たちは全てサンダルばきである。シリアでよく見かける、質の悪いプラスチックのサンダルだ。ダラアから歩いて国境をわたってきたというが、数十キロをこの履物で、道無き道を歩いてきたのだ。しかも、5人ほどの子供連れである。一番小さい子供は小学1年生だという。

また、少し離れて女性が数人いた。このグループはホムスからの人たちだった。とりあえずダマスカスまで出て、その後国境越えを決行したようである。その中におびえたような顔をした、無言の女性がいたので、彼女は?と訊くと、他の人たちが、彼女はアレッポからだという。思わず同郷人にあったような気がして、アレッポのどこ?と尋ねるとシャアール(アレッポ北東部、激戦区のひとつ)だと言ったきり、やはり怯えたように遠くに目をやった。

アレッポのことが訊きたかった。だけど、訊いてどうなるのか。町が、そして周囲の村がめちゃくちゃだということは、友人たちとのチャットで訊いている。それを、ことさら、この彼女に訊くことに何の意味があるのか。少なくとも、彼女の呆然としたような表情は、何を訊かずとも、全てを物語っている。

彼女も、きっとかなりの間をここで過ごすことになるのだろう。そして、数ヶ月キャンプ生活をしている他の人たちのように、キャンプ内の不自由さ、望郷の念、亡くなった肉親や友人への思いを、ようやく語りだすようになるのかもしれない。しかし、彼女は、今はそれすらできない。

写真や、ビデオでみたアレッポの荒れ果てた様子が、彼女の背後に見えたような気がした。

あの暖かい笑顔を失ったシリア人に会うことがこんなにつらいことだったとは。