2012-11-01
奇妙な会話
なんと奇妙な会話だっただろうか。
昨日、教え子のAが、スカイプの音声通話をかけてきた。彼は、この困難な中で修士論文を書き上げ、論文の提出と口頭試問の日取りなどを決めるために、約一ヶ月前にイドリブからアレッポに出てきた。大学には、町の状況のよい日に行き、残っている職員たちと必要な手続きを続けているようだが、担当の教官は「来るはずだ」としかわからない状態である。
夫も異例の外部からの指導教官として名を連ねていたが、彼亡き後は、別の教官に代わってしまった。しかし、これらの教官たちも、この状況では大学に行くことすらままならない。ある程度の手続きが済んだ段階で、Aはイドリブに帰ろうとしたが、アレッポでの衝突や砲撃・空爆は激しくなる一方で、道が封鎖され、帰るに帰れない。
彼がアレッポに出てくるときは彼の叔母の家に泊まるのが普通である。しかし、「家主」である叔母一家は、トルコに避難してしまった。従って、Aは一人、空き家になった叔母の家で暮らしている。
話し始めて、10分くらい経っただろうか?彼が、急に口をつぐんだ。何?と聞こうと思ったその瞬間、バリバリバリという音が聞こえた。
銃撃だ!
スカイプを通じて、銃撃の音がはっきりと聞こえてくる。彼は、「あ、始まった」と言った。私は、言葉を失い、どこで?と聞くのが精一杯だった。
「うちの前の通りみたいですね」「この近くに軍関係の建物があるから、もうしょっちゅうです。」と言ったとたん、ドーンというものすごく大きな音がした。
彼は少し沈黙した。今のは!今のはなに?!と言うと、あれはどうも大砲のようだという。そして、バリバリ、ドーンという音が数分間続いた。
会話どころではない。しかし、彼は話をしたいのか、パンの供給が少しずつ乏しくなってきていることや、毎日ほぼ20時間以上の停電のこと、燃料がないことから、来る冬への不安などを淡々と話し続ける。その間も、砲撃音は大きくなったり、小さくなったりしながら続いている。
なんとも奇妙な状況ではないか。
私は、お茶を飲みながら、気違いじみた砲撃の音を聞き、アレッポの窮状の話しを聞いている。砲撃音は、あたかも私の家の横で行われているように迫ってくる。それは、映画の効果音ではない。そして、つい去年までエブラ文書について私たちと議論していたAが、その砲撃からまさしく戸一枚隔てた家に一人ぽつねんと座り、私と会話をしているのだ。なのに、私はその破壊的な状況から距離的には、あまりにも遠い所にいる。
砲撃音は続き、Aも話しを続ける。この砲撃はいつまで続くのだろうなどと、ふと愚かなことを問いかけると、Aは、まあ夜半までですね、でもまた明日もあるに違いないですよ。エンドレスだ、とどうでもよいことのように言う。鋭い砲撃音が、神経の奥底にまで響く。砲撃は通話の間中聞こえた。
じゃ、またね、と通話を切ったその後も、彼は砲撃の中に一人、居続けるのだ。「でも、どこかで勉強続けられませんかね」と聞く彼と、文字通り、隣り合わせに起こっている戦闘。なんと、残酷なコントラストなのだろう。