「まだちゃんと決めてないけど、たぶんあと10日もすれば、トルコに避難することになります。」
一ヶ月ばかり前、教え子のAが久しぶりに語りかけてきたが、それは今、シリアの誰もが考えるチョイスの実行を伝えるものだった。
彼女と彼女の家族が数ヶ月前からパスポート取得の手続きを続けていたことは知っている。その頃は、町の治安状況から、パスポートセンターに思うように行けないと嘆いていた。しかし、最近になってようやく パスポートを受け取ったらしい。
トルコでは頼る人はいるの?と聞くと、誰もいないという。まずは、逃れて、とりあえず生活の場を設営して、それから、働き口をさがすと。
トルコで何をして食べて行くのか聞いてみた。彼女は小学校の先生であるが、異国であるトルコで先生が出来るとは思えない。彼女の答えは、妹と一緒に、どこかの店の店員にでもなるしかない。もしその口もなければ、手芸が得意だから、それでなんとかする、というものだった。なんとも心もとない「計画」のもとに彼女らは両親とともにトルコへ行き、両親を養うことになる。
単刀直入にお金はあるのか、と聞くと、「ええ。あります。向こうで家を借りて、必要最低限の電気製品などを買いそろえて、2−3ヶ月くらいなら生きて行けると思うの。」という。それにしても、それはそれなりにまとまった金額だ。どうして都合したのと聞くと、彼女 は「私の金のブレスレッドを売りました」と言った。
彼女は、大学生のときからアルバイトをしていて、それを家に入れていたようだが、あるとき、両親がその一部を、貯金だからと、金のブレスレッドにして彼女に贈った。 しかし彼女も年頃の女性である。貯金とはいえ、おしゃれの一つでもあるブレスレッドを手放すのをためらいはしなかったのだろうか?
彼女は、その私の問いを、きっぱりと否定した。「私たちは、まだラッキーですよ。もう売るもののない人たちがいっぱいいるんですから。」
シリアでは、金製品を持つことは一種の貯蓄であり、それを必要な時に売るのは極めて普通のやりくり方法である。しかし、両親のいる家庭で、あえて娘が自分のものである金を売るのは、それなりに切羽詰まった状況を示している。
ふと、大学での考古学実習のとき、土器をチェックする彼女の腕に金のブレスレッドが光っていたことを思い出す。そのときは、実習とは不釣り合いね、と彼女をからかったものだ。
そのブレスレッドがこんな形で彼女の腕から消える日が来ると、誰が想像しただろうか。