2014-01-27

ジュネーブの会議


今日、ハムドーは、スイスで行なわれている会議よりも、格段に大事なことを話してくれた。



現在彼はカファル・ハムラというアレッポ西北部の村にいる。昨年のある段階までは、アレッポ市街にでることもかなりあったようだが、最近はどのくらいの頻度で行っているのか、あるいは行く事ができるのか。



ハムドーによれば、この数ヶ月来、この村の南部には政府軍が陣取り、また西側は、自由シリア軍とISISとの間の戦闘が激化しているため、非常な大回りをしなければアレッポ市内には入れないと言う。以前はカファル・ハムラからは車で街道をまっすぐ15分も走ればアレッポ市内に入れたのに、今はアレッポの北東部の外周道路を、車で約3時間かけて、町はずれにたどり着く。しかも、これは樽型爆弾や砲撃なんかがおさまっているときを見はからねばならない。



漸くアレッポ市内に入っても、以前このブログでも紹介したブスターン・カスルという地区の「死の通過点」を渡らない事には先に行けない。「今でもこの場所にはスナイパーがいて、日に2−3人の市民が撃たれて亡くなっているよ」



ブスターン・カスルからさらに町の中心部、例えばジャミリーエまで行こうとすれば―以前はこの距離を歩くことなど考えなかったが、近頃は徒歩で行くらしい―軍の検問が何カ所もある。そして、もし少しでも不審であると判断されると、有無を言わさず拘束される。



運良くジャミリーエに着いても、誰も命の保証など出来ない。政府軍の制圧下にあるこの地区は、アレッポ旧市街からの射程距離内だ。旧市街には自由シリア軍が陣取っているが、彼らは近頃大砲を備え、不定期に弾を撃ち込んで来る。



「前にも言っただろ、ロシアン・ルーレットだって。あれは冗談じゃない。」



「だけど、心配する事はない。僕が動くときは、考えに考え抜いてからだ。だから、無茶はしない。確かに状況は最悪以上だ。それはいつも言っている通りだけど、この3年間で、本当に経験を積んだし、色々学んだ。今まで、自分がこれだけ学んだり、考えたりすることが出来るなんて思わなかった。」



「わかる?ヤヨイ?シリアのこの『試み』は僕をすごく変えたし、すごく学ばせてくれた。どういう風に身を処するか、だけじゃない。政治を理論と実践で学んだし、軍事を理論と実践で学んだし、人道ってヤツも理論と実践で学んだ。」



「なんかすごく年をとった気がする。150歳くらいになったみたいに。そして周りにいる皆が、すごく単純に見えてしまう事すらある。だけど、同時に、ああ、なんていい人たちなんだろうって、今になって思えるんだ。」



「そして・・・毎日、毎日、シリアがもっと好きになっている。」



「時々、僕の村、ビレーラームーン村の自宅にこっそりと帰ってみる事がある。家に入って、ちょっと座って、家の匂いを嗅ぐんだ。」



夫の眠る墓地のすぐそばにハムドーの家はある。私も、ふと、アレッポ最後の日に行った墓地の、赤い粘った土と雨の匂いを思い出した。



「もうすぐ、この戦争は終る。僕はそう確信する。・・・だけど、その後混乱は結構続くだろう。・・いや、でもそれは困難じゃない。人はちゃんとした分別を持ち始めている。これが、たぶん解決を早める事になるはずだ。みんな、状況を良くしたいという意識をもっているから、良くなる為のどんな事にも参加していくさ。みんな、目醒めて来ているんだ。」



意外だった。最悪の事態の只中にいる彼から、こんなに静かな、しかしながら澄み切った将来への確信の言葉を聞こうとは。



人々は苦しんでいる。悲しんでいる。疲れている。しかし、そんな中でさえ、人々は学び、将来への確信をもつ。そして、「祖国シリア」を日々さらに好きになっている。



ジュネーブの会議よりも、なによりも、シリアを変えるのは、シリア人。それを、ハムドーは改めて言葉にしてくれた。