ハッブーバの村に、冬の訪れを告げる雨が降ったらしい。
午後に2時間ほど激しく降ったあと、やけに美しい夕暮れがやって来た、とTが写真を送ってきてくれた。
以前にも書いたが、この村はイスラーム国制圧下にある。普通学校は閉鎖されたまま。その代わりにイスラームの宗教学校を開くと通知があったらしいが、数ヶ月が経った今も、それは実現されていない。
かつては市のたつ町だった近くのハフサが空爆に曝されるようになってから、比較的安全なハッブーバがそれに取って代わっていたようだが、今はイスラーム国が全ての流通を取り締まり、勝手な商売は出来なくなっている。
そして数週間前には、村で初めて、村の若者の一人が斬首刑にかけられた。政権側の軍部隊にパンを届けた為だという。
村の広場で、公開で行なわれたこの処刑のあと、村全体が激しい悲しみに包まれた。村の長老たちまでもが泣き入ったという。
もし政権側、反政権側という言い方が今でも可能ならば、この村は後者である。そしてこの若者は政権側に「塩を送った」という「罪」を犯した。
しかし、この処刑に対する村人の嫌悪感は、「政権側、反政権側」というあまりにも単純な図式とは、ほど遠いところにあり、その後どんよりとした黒い雲のように村を覆っている。
我々「イブラ・ワ・ハイト」の活動に参加して、刺繍を作り、日本に送りたいと言っていた女性たちも、それ以来、激しい恐怖に襲われている。
Tも「やっぱり、今は無理だわ」と言う。
我々の間にある、刺繍糸は我々を繫いでくれる、という共通の認識は変わらないが、今はそれさえも、心の中にしまっておくしかない。
Tの送ってきた写真には、「外には、近所の子供のはしゃぐ声も聞こえる。レモンをそえたお茶を入れてみた。こんな風に終える一日は、悪くないわ」というメッセージが添えられていた。
この雨上がりの写真は、何かを超越した色あいの空を映している。でも私には、それがあまりにも儚げに見えて仕方がない。