一ヶ月ほど前、長く通信が途絶えていたGからメッセージが来た。
Gはユーフラテス川沿いの村の住民である。この村はハッブーバ・カビーラといい、今ではダム湖に水没してしまっているが、当時の考古学の常識を覆す発見をもたらした遺跡があった場所である。遺跡の調査に伴い村人の多くが発掘作業に従事したが、彼女の亡父(アブ・ムルハフ)はその中でも超腕利きの発掘技術者であった。そして、彼と彼の家族は私たちの友人以上の存在であった。
この村一帯は、ここ数年ISに支配され、村人たちは普段の移動も自由には行えなかった。もちろん不自由は移動だけではない。公開処刑強制参観、宗教警察による理不尽な取り締まり等、IS支配下の生活の典型があの素朴な村々で行われていた。Gや彼女の妹は、そういったことを時たま、言葉少なに報告してくれていた。
その後、「IS掃討作戦」により、ISはこの地域から駆逐され、5〜6か月前からアレッポとユーフラテス川地域を結ぶ交通網もそれなりに復活したらしい。
Gはメッセージの中で、市民の交通網がスムーズになったことを受けてアレッポに数日前に出て来たこと、以前看護師として勤めていた医療機関にこの数年の「非従事」に伴う様々な手続きをしていること、アレッポには戦争で精神的に深刻な問題を抱えている人たちがたくさんいること、などを淡々と語ってくれた。
アレッポに人が戻ってきているのかとの私の問いには、彼女が知る範囲では、戦争に『無関係』(加担しなかった)と「認定」された人の一部は戻ってきているようだが、そうでない人は、もちろん今現在戻ってくるのは難しいし、帰ってきても特にアレッポ東部は壊滅的であるため住む家がないと言う。
「町には、ロシア人、イラン人はたくさんいるのにね。彼らの拠点はそこらじゅうにあるわ。」
「私はこの数日間、昔からの知り合いで、まだアレッポに留まっている人の家に泊めてもらっているの。西部のフォルカーン地区の周辺よ。ヤヨイの住んでいたあたりにも近いから、昨日あの辺りを歩いてみたの。あの辺りは破壊は免れているし、見た目は前と変わりが無いわ。」
「でも、あの家にいた人たちはもういない。お父さんと、ハミードおじさんはあの窓の中にいたのに。お茶を飲んで、考古学の話をしていたのに。今は、みんな、いない。そんなことを思っていると、涙が出てきた。」
「私の兄弟も何人かはドイツに行っちゃったし。デニヤ・・ヘイク(世の中は、そんなものなのね。)・・」
アレッポが平静を取り戻しているというニュースを聞くたびに感じる喪失感。もし、今自分があの見慣れた街角を歩くことができたとしても、出会うのは誰だと言うのだろう。友人の家の、閉じた窓、洗濯物の干されていないベランダの光景は、なんと残酷なものだろう。そんな想いが巡った。
Gは続ける。
「でも、私は、看護師でしょ。この戦争で心身ともに傷つき病んだ人たち、特に子供の看護をしたい。そのために、今は人道支援機関の病院や施設での職を探している。今やっている手続きは煩雑だけど、何か今後のツテになるかもしれないし。」
ただ、Gが嘆くのは、このような機関に入るためにでさえ「コネ」が必要であることである。彼女のような真摯な想いを持つ人材に、何がしかの機関が目をとめてくれるのを祈るしかない。