2012-06-05

二つの追悼式


6月4日と6月6日に、ダマスカスとアレッポで、夫の追悼式典が行われる。5月の頭にこのニュースが来たとき、今の状態では行けないなあと思っていた。

皆が集って、夫を偲んでくれる場にいられないのは、寂しかったが、それもいたし方ないと思っていた。会にはメッセージを書き送って、読み上げてもらおうと思っていた。

最初の予定では、両方が5月30日に行われる予定だったが、5月27日ころにFBを開けたら、ダマスカスの会が6月4日に変更になっていた。そして、ほぼ同時にアレッポの分も、6月6日に延期されたことを知った。

ここで、心が動いた。まだ、間に合う。行きたい。行かなければ。行こう。熱に浮かされたようになった。

確かに、今、私が行かなくても、誰もなんとも言わない。ハミードさんは帰って来はしない。今は非常事態なのだ。私が行くことで、シリアの友人に迷惑がかかることもありうる。そういう意味では気違い沙汰だ。

こんな想いが頭の中で渦巻いた。そんなときに、ハミードさんが学生に囲まれてピースしている写真を見てしまった。あのピースは彼の「思い」であり、私の「思い」だったことを思い出した。そして行動にでてしまった。何も言い訳できない。

今は考古学どころじゃない。でも、シリアの彼らに未来は来ないのか?未来に投資しようとした私たちは、今すぐのご利益ではなく、未来にかけたではないか?それを示したい。自己満足かもしれない。

そんな思いを抱きつつも、在京のシリア大使館に行き、ビザを申請したのが5月30日。その帰り道に大使館からの電話があり、翌日の木曜にとりに来るよう言われたので、6月2日のフライトを予約した。その夕方のニュースで、シリアのホウラで起こった虐殺への抗議意思表明として、日本がシリアの在日外交官の国外追放を決めたことを知った。しかし、ビザは翌日受け取ることが出来た。

ダマスカスでの動き方、アレッポへの移動等、シリアの友人を通してばたばたと行った。このようなことは普通、アレッポ旅行代理店のJに頼むが、この数日彼はオンラインにいない。おそらく国外出張なのだろう。メッセージはとりあえず残しておいたが、時間もなく、仕方がないので、他の数人の友人と連絡を行って、アレンジをどうにか終えた。

日本人の友人にも、話しを聞いてもらった。自分でもこの決断が怖かったので、背中をもう一押ししてほしかったのもある。

そして、1日の夜中2時ごろ、このブログの前半を書き終えたとき、代理店のJからスカイプ・コールがあった。彼はウィーンに出張していたが、アレッポの彼の息子との電話を終えたところだという。

「メッセージは見た。だけど、今回はシリアに来るのはよしたほうがいい。今の今、息子と話したけど、政府側がアレッポだけでも2000人規模を動員して、弾圧に当たっているらしい。息子は今、事務所を閉めて帰る道で、政府側が無差別に発砲しているのを見たと言っていた。政府は今、やけっぱちになってるんだ。何が起こるか、本当に本当にわからない。」

ダマスカスは?と聞くと、「ダマスカスはアレッポよりマシだけど、アレッポが今蜂起した以上、ダマスカスにも飛び火する可能性は大きい。」

「やめたほうがいい。あなたのご主人への追悼の気持ちはわかる。だけど、彼だってあなたを危険な目にあわせたいとは思わないよ。」彼の声は緊迫していた。

しばらく沈黙したが、「ありがとう。中止します。」のどもとにある、熱いものを飲みこんで、そう伝えた。