2012-10-02

アレッポ・スーク炎上と沈黙の戦い


シリアでの、そしてアレッポでの戦闘は続いている。

しかし、ここ数日間に届いている知らせは、私にとっては今までで、最も衝撃的な映像を伴っている。ジュダイデ地区のダール・ザマリヤ破壊とアレッポのスーク炎上の映像である。

ダール・ザマリヤはアレッポのジュダイデ地区に多く残る18世紀の歴史的建造物のひとつである。15年ほど前から始まったオールド・アレッポの活用計画の中で、外国の援助なしに地元の資本が中心となり、古い建築を修復し、地元の建築士たちが実際の図面をひき、それまで荒れ放題だった古い建物を蘇らせた。これは単なる修復ではなく実益も伴った事業で、この地区では数軒の古建築がしゃれたレストランとホテルに生まれ変わったのである。

また、アレッポのスークは、中東最大のスークとも言われる。初めて訪れたひとは、雑踏に驚いて迷路と思うことが多いが、実際は一種の条里制とも言うべきヘレニズム時代のアゴラの上に立てられている。間口の狭い店がびっしりと並び、所々にモスクやキャラバン・サライ(隊商宿)があり、香料屋から流れる匂いはもとより、石鹸、食糧品、その他の雑多な品物からの独特の香りは、外国人にとっては異国情緒をかもし出す重要な要素だ。

しかし、アレッポのスークは地元民が今でも日常生活の必需品を買いにくる、生きたスークである。なんでもあるのだ。近隣の村からも村人が買い物に来る。彼らは服装や、頭に巻くものの違いなどで、大体どの地方から来たかが、おおよそ見当がつく。民俗学博物館よりも、風俗がよくわかるのが、アレッポのスークだった。

この二つのアレッポを代表する場が、破壊され、燃えた。



燃えた、と過去形で書いたこの瞬間、イドリブからアレッポに出てきているAがオンラインに来た。聞いてみると、たった今、現地時間9月30日午後5時現在でもスークの方角から煙が上がっているという。(そして、そのことを伝えながら、Aは「あ、今、爆撃音がして、家が震動しました」とも書いてきている。)

最初にダール・ザマリヤ破壊のニュースを見たとき、教え子のWにそのことを言うと、「確かにショックです。でも、今頃は、何を聞いても、他の多くの破壊の内の一つに過ぎないと思ってしまう。なんだか、感覚が鈍ってきたみたいなんです。」と言う。「感覚が厚いワニの皮にでも包まれてしまったような、そんな感じ。いや、と言うよりも、感じようとするとつらいから、感じないようにしているのかもしれない。」

彼の一言、一言がずっしり重かった。そして、現在、おそらくほとんどのシリア人は、彼と同じような思いを共有しているのだろう。なるだけ、感じないようにするのだ、でなければ、気が狂ってしまう・・・彼はそう続ける。

「でも、先生、こんな生活の中で、いいことも見聞きします。それって言うのは、中には、この厳しすぎる現状の中で、無言で堪えて、日常を保っている、保とうとしている人たちがまだいるんです。どこに行っても、まだ仕事を普通にやろうとしている人がいるし、普通の生活を続けようとしている人がいる。彼らは沈黙の戦いを続けているんです。」

「僕は、こんな感じで、そういう人ほど強く生きてないと思う。だけど、少なくともそういう人がいることも、伝えておきたいんです。」

私にできることは、さらにその声を伝えることしかない。