2013-02-22

ユーフラテス川のほとり




حطو قبري بعارودة

وبراس رجم عالي

بلكي الحلوة تمر من هين

والفاتحة تقرالي
私の墓はアルーダに作っておくれ                      
あの高まりの墓のなかでも、一番目立つ所にね                    
ひょっとしたら、可愛い娘がやってきて                
ファーティハを唱えてくれるかもしれないから                  

これは、アレッポの北東部、ユーフラテス川のほとりに聳えるアルーダ山(ジャバル・アルーダ)一帯に伝わる、古謡である。この謡に詠われているアルーダ山の頂上には、シャイフ・アルーダ(長老アルーダ)を祀る祠があり、そのまわりには墓地が広がっている。そして今でも周辺の集落の人々は、この高まりに死者を葬る。

この古謡は、誰が詠んだのか。アルーダ山での一族の葬送を終え、一人頂に残った若者が、いつかは訪れるその日を、無邪気を装いながらも甘美な感傷を交えて謡ったのだろうか。
それとも、つれない「可愛い娘」への、遠回しの愛の告白なのだろうか。
彼の眼下には、ユーフラテス川が空の色を映して青い水をたたえる。かなた対岸には石灰岩の白い崖が、凛としたコントラストを見せて佇む。
春ならば、ヒバリが空高く舞い上がり、そんな中で彼はこの謡を口ずさむのだ。
この謡を聞いた時、そんな情景を思い浮かべた。

このアルーダ山の中腹では、1970年代に紀元前4千年紀末の神殿が発見され、非常なセンセーションを巻き起こした。少し下流のハッブーバ・カビーラなどの遺跡の発見とも相まって、メソポタミアの初期都市文明との密接な関連が証明され、ユーフラテス川を仲介とした、現在のトルコにまで広がる壮大な古代の交易ネットワークの存在が世に知らしめられたのである。

しかしその後、アルーダ山の上流と下流に二つの大きな多目的ダム(タブカ・ダムとティシュリーン・ダム)が建設され、ユーフラテス川はせき止められ、ダム湖が多くの遺跡を呑み込んだ。ひとりアルーダ山は高所であることから水没を免れ、静かな湖面に昔ながらの威容を映していた。

シリアの内戦は、しかし、このような静寂とした遠隔の地にも及んでいる。

数週間前に、自由軍がこれら二つのダムを制圧したというニュースが流れた。アルーダの近く、ハフサの町でも半年以上まえから衝突が断続的起こっていると聞いている。甥っ子のハムドゥーは、一昨日、メンベジ市の遺跡の番人が、爆撃の激しさに伴う遺跡の危機を訴えにアレッポに来た、と言っていた。ダムは多くの遺跡を呑み込んだが、一連の争乱は、この地域を丸ごと呑み込もうとしているようだ。

そんな折、FBで、妻を残して戦闘に参加している若者の写真メッセージを見つけた。目だけを出して、クーフィーヤを巻いた若者は、「あなたはこの目を見れば僕が誰だかわかるはず。他の誰にもわからなくても。」と妻に語りかける。

彼のこの語りかけに、ふと、あのアルーダの古謡を思い出した。