Dは、ひょろりと背の高い、もの静かな学生だった。童顔で色白、考古学科にはいったものの、野外作業には僕は向かない、と自分で言っていた。
ベルギーの考古学発掘隊にシリア人学生の参加が可能になった時、クラスから何人かの学生を募った。Dは、興味はあるけど、炎天下の発掘ではきっと皆について行けないからと、早々に辞退した。
そんな「ひ弱な」彼だったが、考古学実習の授業で遺物の実測図を描せると、抜群のセンスを持っていた。他の学生が、消しゴムで消しまくって方眼紙をくしゃくしゃにしているのを横目に、彼の実測図は、線もシャープで、少しの助言だけで、すぐに間違いも直った。発掘は野外作業だけではない。彼はそれなりに使い物になるんじゃないの、と夫と話し合ったものだった。
それから数年後のある日、アレッポ博物館で彼に再会した。彼は、卒業後、数回外国発掘隊で実測図を描く仕事をしたことを、はにかみながら話してくれた。「勿論野外の作業はしないんだけど」と言う彼の女の子のような微笑みは、学生の時のままだった。
その後、彼との連絡はずっと途絶えていたが、先日、彼が、アレッポのウマイヤド・モスクに残されていたミンバル(説教壇)を、安全な場所に移動するという作業を指揮したという話を聞いた。確かに、シリアの考古遺跡保存を訴えるFBのページで、数人の人がミンバルを運ぼうとしているビデオを見た。しかし、あの作業は彼が仕組んだものだったわけなのか。モスクはミナレットが破壊された後も危険な状況にさらされていると聞いている。あのひ弱なDがそんな大胆なことを?
確かめてみようと、久しぶりに彼のFBのアカウントにメッセージを残しておいた。すると、数日後に返事があり、さらにチャットにも応じてくれた。彼の家はアレッポ旧市街の近くで、未だにそこに住んでいる数人の有志で作ったグループを中心に、旧市街の歴史的建造物などに残る古文書や文物の一部を安全な場所に保管するなど、実際的な活動をしている、という。
誰がリーダーなの?と聞くと「僕ですよ」という返事が帰って来た。「記録を残すのに、機材がないから携帯のカメラで写真を撮るだけだけど、一つ一つちゃんと記録してます。何でも記録とれって、そう教えてくれたでしょ?」
「でも、実はすごく怖いんです。だって、僕は政府の職員でもなんでもない。だから、これも反政府運動と考えられるかもしれないし、捕まってしまうかも知れない。だけど、今、大事な文化財が日々、盗まれたり、壊されたりしている。スナイパーがいたり、砲撃があったりで、地元の者じゃないと、だれもこの地区にわざわざ来ることが出来ない。ここに住んでる僕たちが守るしかないじゃないですか。僕は考古学を勉強したんだし。僕がこのグループの『学術面』のリーダー、他のメンバーはマネージメントを受け持って、ちゃんと組織を作ってやってるんですよ。」
彼の色白の優しい顔が浮かんだ。細い腕をした、あの気弱な彼が今、文字通りシリアの歴史を守っている。