2013-12-24

ロシアン・ルーレット


また一人、友人が亡くなった。



数日前、電車のなかで、FBのメッセージ着信音が鳴った。何気なく携帯をみたら、結婚してフランスに住む友人のA からだった。



「弟のハンムーデが亡くなった。昨日は一睡も出来なかった。」



びっくりして、乗車して来る人たちの波に押されながら、入って来るメッセージの文字を追った。



「この一週間ばかり、毎日アレッポで樽型爆弾の空爆が続いている。心配はしていたけど、弟はあまり空爆の対象にならない地区に住んでいるから、大丈夫と思っていた。でも結局、彼は自宅じゃなくて、サーフール地区の勤め先の小学校でやられた。他に先生と子供たちも十人以上亡くなったようだ。」



アレッポのいわゆる「解放区」では、少しずつ学校が機能し始めた、と聞いている。Aの弟は、そんな学校の一つで最近、フランス語を教えていたらしい。私は、彼の弟には20年近く前に数回あった事があるきりだが、若干病弱であったこともあり、気弱な感じのする、もの静かな青年だったことを覚えている。



それでも数年前に結婚して、男の子が出来たと聞いていた。内戦が始まってからは、自宅が政府軍に押収されたあと、安全な場所を求めてアレッポ市内を転々としていたようだ。



「これが今のシリアなんだ、あそこじゃ、みんな、こんな目に遭ってるんだ。それはわかっている。でも、泣くのを止める事はできない。」



年末の夕方、電車はそれなりに込んでいた。混雑する電車の中で、携帯を見ながら、小さなディスプレイの文字がにじんで来るのを感じた。車窓の外は、東京のイルミネーション。でも、私の手の中には、一人の人間の不条理な死を告げるメッセージ。



その夜は、さらに甥っ子ハムドーのFBメッセージの着信音で目が醒めた。



「今日はまともに樽型爆弾が降って来た。すんでのところで、バラバラになるところだった。」「この前は雪が降ったけど、この所、アレッポは、樽型爆弾の雨が降っている。毎日がロシアン・ルーレットみたいに過ぎて行く。僕のこんな話に嫌気がさしただろ?でも、これがシリアなんだ。残念ながら。」



メディアは騒がなくなった。しかし、シリアでの殺戮は着実に進行している。

2013-12-12

雪玉



数日前の朝、ベイルートに避難しているはずの友人、アブ・アミーンがFBに「ヤヨイ、元気?今アレッポにいる。猛烈に寒い。吹雪が来るらしい。」とメッセージを送って来た。彼は家族とベイルートに逃れてから一年近く経つが、所用のため、一ヶ月ごとにアレッポに帰って来ているらしい。



「誰もいない家は、余計に寒さを感じる。だけど、僕にはまだ家がある。でも、家を追われた人たちはどうなのだろう。アレッポへの帰路で見た村々は、多くがゴーストタウンのようになっていた。ほら、ハミード先生たちと行った、ジャッブール湖畔の村だよ。覚えているだろ?あの村の人たちは、どこの寒空の下にいるんだろう。」



彼の独り言のようなメッセージは、途中で途絶えた。おそらく、停電か、ネットが切れたか。



彼が伝えてくれたとおり、昨日、今日と、シリアでは大雪となった。



シリアでは、時に雪が降る。そして雪が積もると、老いも若きも、誰彼なく町中で雪玉の投げっこを始める。ぼんやり歩いていると、どこからともなく飛んで来た雪玉にやられる。でも、誰も怒るものなどいない。嬉々としてやり返したり、逃げ回ったり。雪の日は、町中が無礼講なのだ。



雪への備えをしていない車は、スリップし、他の車とのニアミスも。ぶつけられると、それなりにもめたりはするが、でもなんとなく、雪に免じてそれほどの大きな騒ぎにはならない。



雪の日には、ほかほかと湯気のたつ暖かいサハラブ(コーンスターチでとろみをつけた甘いホットミルク)を売る道ばたの屋台は大流行りだ。ふりかけられたシナモンの香りが、熱いこの飲み物とよく合う。



陽がさしてくると雪は急速に溶けるので、人々はそれを惜しむように、雪を楽しむ。雪でべたべたになった服は、ストーブの煙突につけた物干に干し、その周りで熱い紅茶とカアケ(乾パン)を食べる。



そんなこんなが、シリアの雪の日の情景だった。



しかし、今のシリアには雪は脅威でしかない。雪が降り始めたと思われる頃に、早速フェースブックに吹雪の中に吸い込まれそうなみすぼらしいキャンプの写真がアップされた。



また、今朝は雪を被ったアレッポ城とアレッポの町の写真がアップされていた。こんな状況でも、アレッポ城は鉛色の空を背景に凛とたっている。



「破壊と、痛みと、死と、そして寒さ、にも関わらず、雪に白く覆われたアレッポはなんて綺麗なのだろう」と写真につけられたコメントは言う。



飛び交う銃弾が、再び無礼講の雪玉に変わる日を念じつつ。


















2013-12-05

刺繍糸が埋めるもの



トルコに逃れているシリア人避難民の女性たちから最初の刺繍が送られて来たのが7月9日。最初の便で送られて来た作品は、出来にばらつきがあり、非常に丹念に刺されているものもあれば、糸がうまく図案にのっていなかったり、刺し忘れの部分があったりした。



刺繍の先生をしている友人にアドバイスをもらい、細かい点を指摘したコメントを女性たちに伝えた。コーディネーターの女性は、私たちのコメントを素直に聞き、女性たちに伝えてくれた。



第一便から1ヶ月半あまり経って来た次の便は、私たちのコメントを反映して、細かい点が随分改まっていた。皆、がんばっていいものを作りたいとおもっているから、コメントがあったらどんなことでも言ってほしい。そうコーディネーターの女性は伝えてくれた。



直接指導ができないもどかしさがあるが、それでもコメントは一つずつ反映されて行った。



第四便を作成中、彼女ら独自で考案した、しかしシリアの伝統の形のモチーフを入れてもいいか、との問い合わせが試作品の写真とともに来た。可愛らしい壷をかたどったモチーフだった。一目で気に入った。そしてこの前届いた第五便には、人気のモチーフだった「モスク」をさらに彼女らがアレンジしたバージョンが入っていた。



色鮮やか、だけど、やっぱりどこかゆるキャラね、シリア人だわ、と届いた刺繍を額にはめ込みながら思った。



少しずつ進化している。それはトルコで避難生活を続けている彼女たちの感性の賜物。そして、その感性は日本にいる私たちをも動かしてくれている気がする。



しかし、支援の規模としてはまだまだ。今からまた冬が来て、暖をとるにもお金がいる。そんなことが心配で、と先日、現地のコーディネーターのMさんにもらしたら、彼女はこう言った。



「確かにそうだけど、彼女たちにとって、時間を埋めてくれるすべがあることが今は一番いいことなのよ。みて、こうやって一針ずつ空間を埋めて行く。それは時間を埋めて行く事でもある。何もしないで国のことや亡くなった人たちのことを考えるのは、ものすごくつらいことよ。しかも空虚な時間があると、悪い方にばかりものを考えてしまう。」



「彼女たちの名前を刺繍に書いたでしょ?あれがフェースブックにアップされたとき、彼女らがどんなに喜んだか、貴方は知らないでしょ。彼女らは、あれで、本当に遠くにいる日本人に、自分たちのことが知らされたんだ、って大はしゃぎだったんだから。」



「今度はグループで一番若いラギダの刺繍をアップしてやって。だって、彼女は自分の作品の番はいつくるの、ってものすごく楽しみにしてるのよ」



お金だけではないのだ。食べるものも、着るものも、中には寝る場所にも事欠くような、こんな異常な事態にあって、彼女らは喜びを見つけてくれている。



刺繍の艶やかな糸が、彼女らの微笑みをさらに増してくれますように。