また一人、友人が亡くなった。
数日前、電車のなかで、FBのメッセージ着信音が鳴った。何気なく携帯をみたら、結婚してフランスに住む友人のA からだった。
「弟のハンムーデが亡くなった。昨日は一睡も出来なかった。」
びっくりして、乗車して来る人たちの波に押されながら、入って来るメッセージの文字を追った。
「この一週間ばかり、毎日アレッポで樽型爆弾の空爆が続いている。心配はしていたけど、弟はあまり空爆の対象にならない地区に住んでいるから、大丈夫と思っていた。でも結局、彼は自宅じゃなくて、サーフール地区の勤め先の小学校でやられた。他に先生と子供たちも十人以上亡くなったようだ。」
アレッポのいわゆる「解放区」では、少しずつ学校が機能し始めた、と聞いている。Aの弟は、そんな学校の一つで最近、フランス語を教えていたらしい。私は、彼の弟には20年近く前に数回あった事があるきりだが、若干病弱であったこともあり、気弱な感じのする、もの静かな青年だったことを覚えている。
それでも数年前に結婚して、男の子が出来たと聞いていた。内戦が始まってからは、自宅が政府軍に押収されたあと、安全な場所を求めてアレッポ市内を転々としていたようだ。
「これが今のシリアなんだ、あそこじゃ、みんな、こんな目に遭ってるんだ。それはわかっている。でも、泣くのを止める事はできない。」
年末の夕方、電車はそれなりに込んでいた。混雑する電車の中で、携帯を見ながら、小さなディスプレイの文字がにじんで来るのを感じた。車窓の外は、東京のイルミネーション。でも、私の手の中には、一人の人間の不条理な死を告げるメッセージ。
その夜は、さらに甥っ子ハムドーのFBメッセージの着信音で目が醒めた。
「今日はまともに樽型爆弾が降って来た。すんでのところで、バラバラになるところだった。」「この前は雪が降ったけど、この所、アレッポは、樽型爆弾の雨が降っている。毎日がロシアン・ルーレットみたいに過ぎて行く。僕のこんな話に嫌気がさしただろ?でも、これがシリアなんだ。残念ながら。」
メディアは騒がなくなった。しかし、シリアでの殺戮は着実に進行している。