2012-05-10

手紙


いまさらながら思うのだが、今年の二月のシリア行きは、つらい里帰りだった。

シリアは今まで、私たち母子にとって、「行く」所ではなく、「帰る」ところだった。しかし、今、状況は簡単に「帰る」ことを許さない。

娘の奈々子にとっても、つらい「帰国」だったであろう。夫の葬儀が終わったあと何日かして、彼女は高校時代の友達Sちゃんに会いに行くことになった。悲しい出来事があった後とは言え、久しぶりの再会である。うれしげにGちゃんと連れ立って家を出て行った。

Sちゃんは、両親とともにアレッポに住んでいるが、もともとホムスの出身である。両親の実家はホムスにあるし、親戚もたくさんホムスに住んでいる。

ホムスの惨状は、誰にでも普通に伝わって来てはいるが、Sちゃんは、ホムス出身と言う背景もあり、間接、直接に「忌まわしい」事故の話が他の人よりも、生々しく伝わってきているようだ。

今回の騒乱で、ホムスは最も激しい抵抗運動を続けているが、アレッポに住む彼女自体も反政府のデモに出かけたり、集会に行ったりしている。彼女の父親は退役したが、もともと軍人である。娘のそのような行動を好ましく思っていないが、同時に、彼女の身を案じてもいる。

奈々子たちの久しぶりの再会も、彼女の最近の反政府活動や、ホムスで起こっている極めて具体的な、生々しい闘争に関する話や、市民の苦しい日常生活の話で占められた。奈々子も、少なからず、Sちゃんの話に衝撃を受けたようであった。

つい一昨年の夏には、彼女ら仲良しグループは、ささやかな卒業旅行で、ベイルートまで遊びに行った。ホムスを経由して、ベイルートへ行き、帰りはホムスのSちゃん一家の実家に泊まって、笑いさざめいていた。

そのときの話題は他愛もないものであったに違いない。その彼女らが、今は、日常茶飯事になってしまった殺戮について、そして反政府運動について話している。

日本に行く私たちに、Sちゃんはホムスの現状を伝えるメッセージを送るね、と言ってくれた。そして、実際、手始めに数枚のメッセージを奈々子に託してくれたらしい。

数日後ダマスカスで、日本に「行く」飛行機に乗り込んだ際、奈々子が、「お母さん、これ」と、彼女が暇つぶしに読もうと思っていた本から、紙切れを取り出した。Sちゃんからの手紙だった。よくチェックに引っかからなかったものだ。これには、生ナマしいホムスの様子が書かれているのだ。

奈々子は、再び手紙を本の中に挟みこんだ。

窓から、シリアの褐色の大地がどんどん遠ざかって行くのが見えた。