2012-05-17

集団埋葬


数年前にシリア北東部のテル・ブラクという遺跡で、5800年前の集団埋葬が見つかった。見つかった人骨は、頭骨のないもの、腕のないもの、さまざまであった。年のころは、十代後半から三十代にかけての壮年男性ものであり、おそらく集団間の戦いの結果死んだ兵士たちであろうとされている。

考古学をするものにとって、これは都市形成期の集団間の闘争という、非常に興味深いテーマを示してくれる。なぜ、集団の間に争いが生まれたのか、そしてそれが「人類史」の中で、どのような意味を持つのか、その背景の社会構造はいかなるものか。

そんなことを、私たちは考察する。そして、断片から当時を復元する。

そして、今。現代のシリア。

ユーチューブに投稿されたビデオは、半分以上の男性が死んだ村の、集団埋葬の様子を伝える。長い濠のような穴に、次々に白い布に包まれた男たちの遺体が運び込まれるのが映し出されている。生き残った男たちが、埋葬を済ますべく、動き回っている。

数千年の時空を超えて、やはり、同じように集団で葬られる人たちがいる。しかし、今、私たちは、それを分析はしない。背景を「復元」をしたりもしない。

ただ、この殺戮のあとに来るものを恐れている。恐れが、悲しみに変り、次には憎しみに変ることを。

「クラスメートだったヤツが、体制派だったら、もし平和になっても、しこりが残るよなあ。前みたいに平気で付き合えないよなあ、正直・・・。」と、反体制派を自称するSは、悲しげに言っていた。「もし、この闘争が終わっても、きっともとのシリアみたいじゃなくなるかもしれない、それがすごく怖い。」と。

大学にいたころ、実測練習用に、Sたちと大学の空き地に即席で「墓穴」を掘り、グループで実測をさせたことがあった。サボる学生、黙々と図を描く学生、他の学生の手助けをする学生・・・。

だけど、その中に、それなりのチームワークがあった。ムスリムだとか、クリスチャンだとか、アラブ人だとか、クルド人だとか、アルメニア人だとか・・・そんなことは、あのフィールドワークのまねごとには関係なかった。

あの即席の「墓穴」が今となっては、奇妙に象徴的に思い出される。