2012-07-17
帰還
一昨日、捕まって刑務所に入っていた2人の甥っ子が帰ってきたというニュースが来た。
伝えてくれたのは、やはり甥っ子のハムドゥで、よかったね、というと、「それが・・まあ帰ってきたんだけど、めちゃくちゃやせて帰って来たんだ」と言う。
「骨と皮っていうのはあのことだ。あいつらに比べたら、ヤヨイなんかずっと太ってることになるくらい。」なのだと。
そして、「もちろん会いに行ったけど、問題は、あいつら、なんだか腑抜けみたいになってたんだ。ボーっとしてなんだか、頭がヘンになったみたいな感じだった」という。
ショックだったが、それはそうだろう。短期間にそんなにやせて帰ってきたと言うことは、この一ヶ月ちょっとの間に、よほど厳しい環境にあったのだろうから。精神的にもダメージが大きいことも想像がつく。
帰ってきた二人のうちの一人は、高校時代、歴史に興味を持ち始め、夫がよく「講義」をしに彼の家に行っていた。
彼の家、すなわち義理の妹の家はアレッポ郊外の村にある。広い庭やベランダがあり、夏の宵には夫はそこで「戸外レッスン」をした。アレッポの夏は、昼間の暑さは厳しいが、夕方になると、素晴らしく涼しい風が吹く。ましてや、彼女の家は田舎家で、寒いくらいに風が吹くこともある。そういう時は、寒がりの私は、彼女の持ってきてくれる毛布に包まって、夫の「レッスン」を聞いた。
甥っ子たちは、元来非常に元気のいい、素朴な田舎の青年たちだ。力仕事もいとわない、強健な体を持っている。その彼らが、今、怯えたように、やせた体で、あの風の中にいるのを想像するのは、なにか悪夢を見ているようである。
それでも、義理の妹は、慣習的な意味もあり、帰還祝いの昼食会をするようだった。アラブの美徳でもあるのだが、彼女は人を「招待」をするのが好きである。大変なのよ、などといいつつ、呼ばれていくと、いつも食べきれないほどの料理を勧めてくれた。だけど、今回、彼女はどんな気持ちで招待の料理を作っているのだろうか。
おそらく、しばらくしたら、若者たちは体力を取り戻すだろう。精神的にも、落ち着くだろう。しかし、この一ヶ月間に起こったことを、そう簡単に忘れることは出来ないだろう。
彼らだけではない。今、シリアでは、彼らのような例は五万と起こっているに違いない。しかし、それは空恐ろしいことではないか?何かが揺れている。武力抗争の影で、もっと恐ろしいことが起こっている。
ハムドゥはさらに伝えてきた。「また、今日も村の人が2人死んだ。兄弟でね。石切職人だよ。車運転してたら、撃たれたらしい。ヤヨイも知ってる人たちだと思うよ」
「おじさんは、死んで、こんなこと見聞きしなくてよかったのかも知れない。あれで、よかったんだ。僕もほんとに明日がわからなくなった」近頃は、ハムドゥもすぐに弱音を吐く。
他の人に言えないのだから、私が聞くことで少しでも吐き出せるならと、思う。でも、停電が毎日8時間である今、チャットも最後には駆け足になる。
(追記)
ガスボンベはついに3200ポンド(約6000円)になってしまったという。つい2週間前は2200ポンドだと言っていたのに。ちなみに私が去年の4月、最後に買ったときは、手数料を入れて350ポンドだった。