2013-01-03

新年の祝砲


「普通、祝砲は空砲で、一時間もしないうちに終わる。だけど、僕たちの新年の祝砲は一日中続いている。実弾でね。」

元旦にメッセージを開けると、銃撃や砲撃の「祝砲」で明けたアレッポの新年を伝える甥っ子ハムドゥの一文があった。「夜中じゅう銃声が響いていた。僕たちは、地下のシェルターで新年を迎えたよ」

ハムドゥの村は壊滅状態で、アレッポ市内から避難してきた元判事の義弟一家と、隣村に一緒に住み始めた。この義弟の家はアレッポのハールディーエという、大きなスークのある地区にあるが、スーク自体は、今、店はほとんどしまっており、昔の面影は、全く失せているらしい。

ただ、「みんな一緒に居るから、何となく少しだけ、安心な気がする。そんな新年だよ。」とハムドゥは続ける。

アレッポに残るクリスチャンの友人は、元旦の夕方に、「新年おめでとう。今、一人でアラクを飲んでいる」とメッセージをよこしてくれた。彼の家族は、全て東欧のある国に縁者を頼って逃れており、彼も春には家族に合流する予定だと聞いている。「一緒に飲みたいな」と返事をすると、「今はだめさ」とのタイピングを最後にオンラインから消えた。

国外に避難している友人は、「夢は大きすぎて、神様だけが実現できるもの。私たちは最良の状況を願うけど、最悪の状況への準備もしているわ。」という新年を祝う言葉を含まない「抱負」を告げて来た。

唯一の救いは、先頃修士論文を書き上げたAの受け入れの可能性を告げる、イタリアのある大学の友人のメッセージである。

今のシリア人にとって、新年は、昨日の次の日に過ぎない、と知ってはいても、一筋の希望を捨てずに彼らに寄り添いたい。そんな事を思いながら、アンマンでの一人の正月を過ごしている。