2013-01-13

戦うということ


今回のヨルダン滞在では、シリアから退避してきている数人の若者たちに出会った。その中の一人、KHは、現在ヨルダンの工学系の大学に在籍し、エンジニアを目指して勉強している。

彼はもともとシリアの大学の工学部に在籍していた。しかし、そこでも反政府デモが起こり、治安部隊との衝突が日常化する中で、勉強を続けることが不可能となり、隣国の工学系大学に入り直したのだ。

現在は、国外からシリア国内にいる難民の人道支援をボランティアとしてやっており、援助物資などの調達、国内の支援グループとの連絡などを行う。

「僕たちはやり方を間違ったのかもしれない」彼はそう切り出した。

もの静かな若者で、23歳とは思えないほど、落ち着いたしゃべり方。エンジニアというのは中東ではエリートであり、彼もそれに到達するために一種のプライドを持って勉強をしている。隣国とはいえ外国で勉強を続けることが出来るクラスの家庭の子弟でもある。

彼もシリアにいる時は、反政府デモに参加していた、という。何かが変わらなければいけない、という共通の意識のもとに他の学生とともに自然にデモを続けていた。

「デモに参加し始めた時は、学生は皆、改革を求めて、平和的にデモをやっていた。治安部隊には、最初は威嚇されたけど、とりあえず僕たちはデモを続けた。」

「だけど、デモ隊に銃が打ち込まれて、友達が死に始めた。そのとき、僕たちの一部は武器を手にとった。それは、始めは防衛のための武器だった。」

「そこまでは、良かったのかもしれない。だけど、ある時からその防衛のための武器が攻撃のための武器に変わった。そこが、大きな転換点だったようだ。」

彼は続ける。「僕たちは、間違ったのかも知れない。僕たちは、知らなかったんだ。革命のやり方を。誰にも教わらなかったし、誰も教えてくれなかった。」

「活動をしながら、政治の本もたくさん読んだ。何かがわかると思って。だけど、そんな事をしている間に、何人も、何人も死んで行った。」

「改革は出来ると信じるよ。そして、改革されないといけないと思う。だけど、今やっているようなやり方は、間違っている。5年かけても、10年かけてもいいから、少しずつやっていけば、何万人もの犠牲を出さすにすんだはずなんだ。攻撃のための武器を持ったところで僕たちは焦り、そして間違いを起こしてしまったようだ。そしてそれが、犠牲者だけではなく、膨大な数の国内外難民を生んだ一因なのかもしれない。」

「あるとき僕は、仲間に僕たちのやり方は間違っていると言った。その答えは、自分たちに不利になるようなことは言うな、というものだった。」

「なんということだ。その受け答えはどこかで聞いた事があるじゃないか。僕はそう思った。僕たちは自由を求めてデモを始めた。だけど、行き着いた先はこれか?これじゃ、今の政権のやり口と同じじゃないか。」

「僕は失望した。仲間のある者は映画のワンシーンみたいに、敵に向かって行って死ぬのをよしとしている者もいる。でも。僕は、それは無駄な死に方だと思った。それじゃ、何にも変わらせることは出来ない。それもあって、大学に入り直し、まずは避難民の支援をやることにした。」

じゃあ、もう改革にはタッチしないの、という私の愚問に、彼は答える。「僕は今も戦っているんだ。何人友達が、そして親戚が、大切な人たちが死んで行ったと思ってるんだ。彼らのためにも、改革を求めない訳がない。戦いをやめたわけでもない。」

まだ支払わねばならない代価の重みは、背負って行くしかないんだ、と言って、彼は、まっすぐに私に視線をむけ、口をつぐんだ。

この言葉は、未だに、鮮明に私の耳元に残っている。