2013-01-05

アンマンの片隅で



「私たちのほうが、男たちよりよっぽど元気があるし、強いのよ。」

ヨルダンでは、アンマンの片隅にもシリアからの避難民の人たちがたくさん住んでいる。その中には様々な理由で、母子家庭として生活せざるを得ない女性がたくさんいる。慈善団体からの支援が、とりあえずあるものの、数人の子供をそれだけで育てて行く事は困難である。

このような状況のなか、昨年の9月頃から、彼女らの収入を確保しようと、シリア人と地元の有志が寄り集まり、手工芸品製造販売のグループを作った。ホムスか ら逃れてきた「肝っ玉母さん」ウム・イスマイールが先生となって、まずは3人の女性とともにビーズ細工や、壁掛けなどの飾りものを作り始めた。この輪は次 第に広がり、今では約30人の女性が緩やかにまとまり、細々ではあるが、手工芸品を製作している。

「マーケティングに問題があるのよ。とにかく自転車操業。だけど、今彼女たちは月に平均80ディナール(約10000円)くらい稼げるようになったわ。生活費全部は賄えないけど、今にもっと稼げるようになるって、ちょっと期待してるの。旦那が居なくてもなんとかやって行かせてやらなきゃね。」

ウム・イスマイールは私の知っているシリアン・スマイルを満面に浮かべた。

「最初始めた時は、ここに逃げて来ている女性たちが、こんなに真剣になってやるとは思ってなかった。だけど、彼女らのモチベーションは日に日に高くなっている。やってる本人がびっくりしてるのよ。」

彼女らは、普通自分たちの家で暇を見つけて仕事をし、出来上がった「製品」をウム・イスマイールや、他のシリア人、地元ヨルダン人のボランティアが集め、販売する。

私 が昨日ウム・イスマイールの所を訪れた時は、近所に住んでいるという一人の女性が、5歳くらいの息子を連れて一心に針を動かしていた。「たまにこんな風に うちに来て仕事をする事もあるのよ。」と、ウム・イスマイールは言う。ご近所さんやら、親戚やらが常に行き来する、シリアでよく見かけるコミュニティーの 付き合いがここでも生きている。

「ここでの違いは、ダラアから来た人もいるし、ダマスカスからいた人も居るし・・・つまり、いろんな所から来た人がいるってことね。」

「昔はダラアだとか、ダマスカスだとかって、同じシリアでも遠い所だと思っていたけど、ここに来て、みんなシリア人なんだって、初めて感じる事が出来た。みんな一緒なんだって。」

ウム・イスマイールは、続ける。「でも、状況が少しでも収まったら、もちろんホムスに帰るわ。家?潰されたって聞いてるよ。だけど、帰ったら、私はテントでも張って住むわよ。そんな事、全然平気。自分の土地に帰って住めるんだったらね。」

帰りがけに、じゃ、また今度はシリアで会おうねと、ハグしてくれたウム・イスマイールの腕は暖かく、逞しかった。

メディアは年が明けても暗いニュースばかりを伝えるが、雑然としたアンマンの裏通りに、思わぬシリアを見つけた。

心が少し軽くなったような気がした。