2012-08-07

アレッポ城


昨日(5日)来、アレッポ城が砲撃を受けているというニュースが伝わって来ている。最初にそれらしきことが、FBに載ったときは、まさかと思った。その後、夕方FBを開いたら、自由シリア軍がアレッポ城に立て籠もっているがために、政府側が彼らに、そして城に攻撃を仕掛けている。自由シリア軍よ、城から出てくれ、という内容の投稿があった。

そして、その夜中。ベイルートに一時「避難」した友人のSさんとスカイプで音声通話をしたとき、その第一声が「アレッポ城に何が起こっているか知ってる?」というものだった。

このニュースが間違いであってほしい、と思っていた私は、彼女の話に、改めて愕然とした。彼女もアレッポの友人から聞いたらしいが、その友人は、その目で砲撃が行われているのを見たというのだ。

その後も、FBで数人がこの件に激しい失望感をもって触れているのを見た。詳細はやはり不明だが、アレッポ城にまで騒乱の手が伸びたのは本当らしい。

アレッポ城はアレッポ市民の象徴的存在だ。周辺のオールド・タウンも含めて世界遺産にもなっている。いや、世界遺産云々という話はよそう。その「栄誉ある」タイトルでさえ、空しい気がする。そして、Sさんが言った言葉が、なによりもこの出来事へのどうしようもないやるせなさと、今起こっていることが含む矛盾を物語っている。

彼女は言った。「フランスが統治していたときでさえ、アレッポ城を攻撃したことなんかない。なのに、今、私たちが、私たちの手で、私たちの象徴を壊してるのよ。誰でもない、私たちが・・」

彼女は、今回ベイルートに着いたときのメッセージとして、「アレッポでは、私たちの体が砲撃を受けている。だけど、ここでは心に砲撃を受けているような気がする」と書いてきた。とりあえず安全な場所にいるからと、手放しで喜ぶ避難民は誰もいない。みな、あとに残した家を、街を、そして国を思う。そして離れれば、離れるほど、その気持ちは強くなる。

日一日と状況は悪くなっている。危険度も増している。アレッポの、いわゆる閑静な地区であったメリディアン地区でさえ、一昨日あたりから砲撃の対象になり始めている。この地区に住む友人は、昨日緊急の用で外出し、戦車の間を縫って、程遠からぬサビール地区にある実家に行ったが、当分自宅に戻れるめどはつかないと、Sさんに伝えてきたという。

アレッポが麻痺している。アレッポの優しい風が、今は崩された建物の粉塵を舞い上げている。イフタールは、アザーンではなく、銃声を聞きながら食べる。

それでも・・・、彼女は、ベイルートでの用が終われば、やはりアレッポに帰って来るに違いない。