2012-08-04

人々は強く


アレッポでの本格的な「戦闘」が始まったとき、スッカリという地区にいる友人が、現地時間の早朝にチャットをしてきた。スッカリはサラーハッディーン地区と同様、アレッポの中では一番、激しい闘争に巻き込まれている場所である。

彼は、その時、自宅から若干離れた友人の家にいたようだが、激しい銃声、砲声で夜は眠れず、かといって家にも戻れない状態であったらしい。チャットの途中で、スッカリの自宅にいる彼の母親から電話がかかって来た。母親は「今は帰ってきちゃダメ」と言っているらしい。

でも、ということは、お母さんたちが大変なことになっているんじゃない!というと、今、このあたりはもうどこもかしこもだめだからね、と結構落ち着いている。しかし、かなりの確率で、かなり危険な目に会う、と覚悟をしている。実際、「死ぬかも知れない」という表現を使った。普段なら冗談にしか聞こえない言葉が、今は真実になってしまっている。そうこうするうちに、ネットが切れたのか、停電になったのか、彼はオンラインから消えた。

その日のニュースは、アレッポでの激しい戦闘が一面を飾っていた。集中的に戦闘が行われているサラーハッディーン地区には、一般人はもうほとんど残っていないと伝える。

そして2日後。彼がオンラインにいた。今、ハラブ・ジャディード地区の友人の家に家族全員で避難している、と伝えてくれた。よかった、とりあえず、逃げたんだ。「走ったよ。とにかく走った。走るしかなかった。」と言っていた。多くは語ってくれない。でも、彼のこの言葉は十分に戦慄的だった。

同じ日、女医のSさんは、自分のもうひとつの持ち家を、サラーハッディーンから逃げてきた人たちに解放したという。また、FBをみたら、彼女や他の数人が、どこの学校が「避難民」を一時「収容」しているか、どの病院が救急の用意があるか、などを掲示していた。

おそらく、ネット以外でもこういったニュースがなんらかの形で伝えられ、自助努力がなされているのだろう。政府が「なけ」れば、自分たちでやるしかない。こんなどん底で、人が動いている。

ダマスカスでも、戦闘が激化したあと、やはり友人が、救急病院、薬局、避難所などを詳しくFBに載せていた。

出口はまだ、一向に見えない。

だけど、シリアには、まだ人がいる。信じるしかない。