2012-04-11

大学での抵抗運動


アレッポが全体にまだ平穏だったころも、アレッポ大学内では、学生と治安要員たちとの衝突があることは聞いていた。

私が2月にアレッポに行ったときも、工学部に通うSさんの息子Hが、そのころ工学部で起こっていた衝突や、事件に関して話してくれていた。大学に行ったら、研究室のドアや窓が壊されていたこと、学生がバリケードを張り、治安側とやりあったこと。催涙ガスをあびせられたこと・・・。勿論、検挙者もあった。そのころは、学内では主に工学部が運動が盛んだったようである。

数日前に、考古学の学生であったSとチャットをしたら、彼もその日、大学でのデモに参加したと言っていた。と言うことは文学部でもやっているのか、と言うと、今はどの学部でもやっているとのこと。

勿論治安部隊がやってきて、彼は、催涙ガスを浴びたらしい。目が開けられないだけではなく、息も出来なくなってしまった、と言うが、まだそれだけでマシだったと言わざるを得ない。ほとんどの学生はその後構内から追い出されたようだが、一部にはやはり拘束されたものもあるようだ。

彼は、昨年夏に大学は卒業したが、兵役逃れの意味もあり、大学のディプロム課程に進学した。「殺すのも、殺されるのもイヤですよ・・・しかも何のために?同じシリア人を・・・」

彼は、イドリブの出身だが、このところ、やはりアレッポに家を借りて住んでいる。一週間後には母親とともにベイルートにいる兄の家に行くという。サウジアラビアで働いている別の兄がベイルートに来るので、そこで合流すると言うのだ。

そして、「実はサウジで働けないかと、兄貴に聞くつもりなんです。」と打ち明けてくれた。彼は日本に留学して考古学をやりたいと前々から言っており、イドリブでの日本隊の発掘にも参加していた。まじめで、有望な学生であった。しかし、この状況ではどうしようもない、と見切りを付けかけたようなのである。

「また、落ち着いたら、勉強始めたいですけどね。」という言葉がすごく悲しかった。

今日(10日)、ネットを開くと、レバノン国境付近でレバノン人カメラマンが銃撃を受け殺されたと言う記事が出ていた。

とっさに陸路レバノンへ行くと言っていたSを思い出した。どこへ行くにも、もはや安全は保証されないのだ。