2012-04-24

コンピューターの便利屋


夫の弔問の期間が終わったあとも、「出遅れた」友人が何人か、家に来た。「正式」な弔問の際は、男女別だったこともあり、男性の友人と話が出来なかった。しかし、この遅ればせの人たちの中には、私もよく知ってる友人が混じっていたので、彼らとは、かえってゆっくりと話しをすることが出来た。その中に、コンピューターの便利屋のようなことをしているSもいた。

夫は、根っからのアナログ人間で、書き物をいまだに、全て、手書きでやっていた。教え子のA は自分の勉強になるからと、一部その手書きの原稿を、タイプしてくれていたが、夫は相当書き溜めていたので、とてもおっつくものではなかった。

あるとき、「やっぱりこれは全部タイプしておかないとなあ。」と言って、コンピューターの便利屋、Sを連れてきた。アレッポには、とても近代的とはいえない街区もまだ残っているが、そこに小さな店を構えて商売をしている男性であると言うことであった。

コンピューターやインターネットは近年シリアでも必需品になりつつあるが、このような機械とは無縁の生活をしている層もまだ多く、その人たちのために、タイピングをしたり、メールサービスをしたり、コンピューターの修理や調整をしている店が結構ある。彼の店はそんな店の一つらしい。

Sは、前に一度政治犯として捕まったことがあるような経歴だと言うことで、夫が言うのには、「そういう輩は、本をとりあえず読んでいるから、アラビア語の間違いが少ない。だから、タイピングでも、妙な間違いが少ないはずだ。」と言うことで、彼を選んだようである。

夫はまずは、「アッシリア王碑文」のタイピングを頼んだ。元から相当な量で、タイピングだけでもかなり時間がかかり、さらに専門用語も多かったので、見直しやらなにやらで、さらに時間を食った。結構な仕事量だったが、ようやくメドがたった。

あるとき、アレはどうなったのかと夫に聞いてみた。夫は、若干不機嫌にSが逃げた、と言った。え、どういうこと?と聞くと、なんでも、治安当局に追われて店を閉めて、消えたらしいと言う。え、じゃあ、あの原稿のコピーは?と聞くと、何回か前の校正のCDはあると言っていたが、最終版ではないようだった。

その後、夫にその話しをすると不機嫌になるので、ずっと、うっちゃっておいた。

昨年の夏ごろであったろうか。夫と話したとき、Sが捕まった、と聞いた。「あいつは、もとから捕まりそうな言動をしてたからな。」と言っていたが、詳細はわからなかった。

そのSが、弔問にやってきた。元からやせた人だったが、さらに痩せて、前より白髪が大幅に増えている。天気の良い冬の日だったので、ベランダに椅子を持ち出して、話をした。

ポツリ、ポツリと夫の思い出話をしながら、「政治犯」の彼が「アッシリア王碑文」だとか「アッシュル・ナシルバル」などという名前を口にする。「ハミード先生に会わなかったら、こんな昔の王様の名前なんかに一生付き合うことなかったな。」と遠くを見ながら言う。でも、タイプしながら、面白かったよ、と。

冬の日を浴びて、Sの顔はやけに白く見えた。

どういう風に捕まったの、と聞いたら、ある日、治安の人間が店にやってきて、コンピューターも何もかも、ぶち壊して、俺を引きずっていったんだ、という。「その後は、毎日刑務所の地下で、朝夕「鞭打ち」の定食を食らってたんだ。半年以上かな。」「でも、主義主張、変えたわけじゃないんだぜ。」と力なく笑った。

気になっていた夫の「アッシリア王碑文」の最終版のことを聞くと、「コンピューターは壊されたし、CDもめちゃくちゃにされたけど、ちゃんとコピーが別の場所にとってあるよ。」と言ってくれた。すこし、ほっとした。

そこに、彼の小さな息子が呼びに来た。よければ、残った分もタイプするから、と本棚のほうを見やりながら、そう言い残してSは帰っていった。

本棚には、手書き原稿のつまった二つのダンボール箱と数個のかばんが、前と同じ位置に今もある。