2012-03-04

シリアへ


2月4日の夜のフライトで、シリアに向かう。と言っても、シリアまでの直行便はないので、今回はアブ・ダビ乗り換えである。

エスコートをしていたエジプトからの招客K氏も、全く同じ時間の、別のフライトで帰国することになっていた。

彼を迎えに一週間前に空港に来たときは、よもや彼と一緒の日に旅立つことになるなどとは思わなかった。しかし、今思い出すに、出迎えの際、K氏を待ちながら、なんだか近々ここから飛び立つことがあるような気がしたのも確かなのである。勿論、その理由が夫の病などとは夢にも思わなかったのであるが。

娘は、2月の頭からオーストラリアに行くことになっていたが、それをキャンセルして、私に同行している。最初は私だけで、と考えていたのであるが、もしもの場合もあるとは思っていたので、彼女の方から「お母さんと一緒に行くよ」と言ってくれたときは、心の中にあった重い何かが、すっと軽くなった。シリア入国ビザも彼女に任せた。今までで一番つらい旅支度だったが、二人で背負うと、なんと軽く感じるものか、ということを、このときほど実感したことはなかった。

この一週間、まともに睡眠が取れていなかったので、普段は寝苦しい夜間飛行だが、結構熟睡してしまったようで、あっという間にアブ・ダビについた。

ダマスカス行きのフライトまで、8時間近くあった。トランジットの待合所で、何を見るともなくネットを開くと、シリア関係のニュースが目に飛び込んできた。中国とロシアが、国連でのシリア問題の決議案に二度目の拒否権を発動。またなのだ。それぞれの国が、それぞれの国の利害を考え、動くのはわかっている。しかし不条理である。ユーチューブのビデオの一場面が蘇る。銃撃戦の流れ弾に当たったのか、死んだ10歳くらいの息子をかき抱き、「中国よ、ロシアよ、拒否権発動、ありがとうよ。これが拒否権の成果だよ。」と慟哭する父親。子どもの、弾を受けたわき腹には、血がこびりついていた。

死がこれほど市民の身近に迫ったシリアを、私は経験していない。10ヶ月前の4月、私はシリアで、テレビロケの仕事を手伝っていた。若干緊張が高まりだしていたときではあったが、はしかのように一過性で通り過ぎるもののように感じていた。

まだ、去年はシリアに春があった。春の暖かい日差しを、単純に喜ぶことができた。アネモネがいつもの春のように赤い花を咲かせていた。しかし、今は、あのアネモネの濃い赤が、なんと象徴的に感じられることか。

時間が来て、ダマスカス行きのフライトの待合室へ向かった。そこでは、なにか、皆押し黙っているような気がした。