2012-03-30

葬儀


2月8日。

イスラム教の葬儀は、至って簡素である。

夫の遺骸が清められたことを告げられて、再び家に入ると、白い布に包まれた夫がいた。先ほどと変って顔色が若干くすんで見え、不思議なことに体はあっても「存在」を感じなかった。

布は、顔が見えるように巻かれていて、最後の別れを告げるように言われた。思わず触れようとすると、清めをしてくれた男性に、「触れてはダメです。ハラーム(禁忌)ですから。」と止められた。

悲しかったが、皆と同じように、ファタハを唱えて、また部屋を出た。遺骸はモスクに移動され、その後埋葬と言うことであった。

外に出て、奈々子と一緒に呆然と立っていたら、親戚のHが車に乗るように促してくれた。車の中で30分ばかり待っただろうか。棺を載せた車が出発したことが告げられて、私たちの車も動き出した。

しとしとと雨が降っていたが、車が進むにつれて、鈍い冬の日が雨の中に差してきた。

少し走ると、棺を載せたピックアップが前に見えた。ピックアップに載せられた棺を守るように、数人の男性が荷台に乗っていた。いつもはひょうきんな従兄弟のハミード(夫と同姓同名)が、やりきれない様な顔をして乗っているのが見えた。葬列は、殉教兵士のそれのようであった。

女性は、墓地の中には埋葬が終わるまで入れない。しかし、裏口のようなところから、夫を包んだ白い布が男たちに運ばれているのが少し見えた。

私は、ふと、夫の好きだった日本の歌を口ずさんだ。もしかしたら聞こえるかもしれない。

埋葬が終わり、夫の埋められた場所に行き、女性みんなでファタハを唱えた。アレッポ地方特有の粘土質の赤い土が、雨で湿って固まりになっているところがあった。埋め方がへたくそだわ、となぜかそんなことを思った。

あとで聞いた話であるが、イスラムの教えでは、人は亡くなると、魂は一旦体を離れ、まずは非常な高みに上り、埋葬の瞬間再び体に戻るというが、それは本当のような気がする。

亡くなってすぐに対面したときは、彼は確かにまだそこにいた。しかし、清められた体には、彼の存在を感じなかった。しかし、墓地で、歌を聞かせたいという思いにかられたのは、彼が再び戻り、私にそれを求めたからではないのだろうか、と今でも思うのである。