2012-03-10

兄妹たち


朝、10時過ぎにハムドゥに迎えに来てもらい、タクシーで病院ヘ向かう。

タクシーの料金は、普段通りだったので、「あれ、まともだね」と言うと、「ヤヨイ一人乗ってたらどうかわかんないよ。ま、みんながぼったくってるわけじゃない。今でもね」と笑った。

例によって、集中治療室に特別入室を許され、再び夫に話しかける。今朝は、眠っているのか、目が動かない。それでも呼びかける。なんとかわかってほしい。わかっていてくれていると信じていても、証がほしい。あまり呼びかけると、かえって疲れさせるのだろうか?そうであっても証がほしい。

15分ばかりたって、担当の医師に促されて、治療室を出ることになった。

治療室を出たら、夫の姉妹たちが来ていた。彼女らは昨夕、私が来るということを聞いて、いつもより遅くまで病院に残っていてくれたらしい。彼女らとも久しぶりの体面である。人懐こい「アハレーン、お帰りなさい」が今回はとりわけ心に染みた。

彼女らは、今はほとんどアレッポの一部になってしまった、すぐ近郊の村に住んでいる。生活様式はSさんの家族のように都会的なものではないが、「古きよきシリア」のひとつの典型をいまだに残している。

彼女らは、私をみると駆け寄ってきて、「兄さん、どうだった?変わりない?」と聞く。夫が「良くなっている」と私に言ってほしいのである。私が来るのを「ヤヨイが来たら、目を覚ますかもしれない」と待っていてくれたという。

簡単に今見た様子を伝えたが、それ以上のことが言えるわけもなく、ただ、大丈夫よ、というしかなかった。

病院のカフェにいたら、夫の弟のFがやってきた。悲しげだった。前よりもずっと老けたように見えた。夫とずっと喧嘩をしていたが、今回心臓発作が起きて夫が病院に運ばれたあと、見舞いに行って仲直りをしたという。

夫とダマスカスの高等裁判所の判事である彼とは、どことなく一族の主導権をめぐる確執もあったようだったが、それでも夫とは基本的に無邪気な関係であった。「兄さんは、もうだめだよな」と言うので、「まだ大丈夫。まだ遠くに行ってはいないよ」と答えた。彼は、「そう思う?」とうつろに返事をしてタバコに火をつけた。

「今晩くらいに、兄さんを大学病院に移そうと思ってる。長引くかも知れないから、この病院だと費用がべらぼうなんだ」といった。兄の病気に加え、自分の自動車学校で起こった事件、娘婿の一件、そして先の見えないシリアの状況が彼の肩にのしかかっているのが痛いほどわかった。