2012-03-26
近郊の村での話
2月7日。
夕方、やはりハムドゥと病院へ。この日は、私は自分でも不思議に思うくらい饒舌で、昏睡状態の続く夫に話しかけ続けた。ドクターがこちらを伺っているのはわかったが、「もうちょっと」と、とりとめもない話しをし続けた。目や口が動くのは、私の話に反応している証拠だと思いつつ。口の動きは今までより、もっと物言いたそうである。
とはいえ、さすがにもう退室しなければ、と思い、「じゃ、また明日の朝ね」と言ってベッドから離れようとしたとき、夫が大きく体を動かした。医療機器の画面が、真っ赤にかわったので、私もハムドゥもびっくりして、ドクターを呼んだ。ドクターが飛んできたが、それと言った処置をせずにまたもとに戻ったので、とりあえず、もう一度夫に「じゃ、気をつけてね」と言って部屋を出た。
病院を出ると、ハムドゥは、叔母たちが家で私を待っているから、ぜひとも来てくれと言った。彼らは、病院から15分くらいの村に住んでいるが、反政府の人たちがたまにバリケードをくんだりするということも聞いていたので、ちょっと躊躇したが、少し彼女らとゆっくり話しもしたかったので、行くことにした。
今晩は、みな妹の中では一番年上のアミーナのうちに集まっていた。田舎の家に特有の、絨毯を敷き詰めた広い客間に入ると、彼女らのダンナ連中もいた。
みんなに夫の病状を聞かれ、起き上がるような素振りを見せたことを告げると、ひょっとしたら意識が戻るかも知れない、というちょっとした期待に包まれた。
ひとしきり、その話しをしたあと、やはり、今のシリアの状況の話しになる。
村でのデモの様子なども話題に上った。治安関係の者は監視しているけど、俺たちが睨みをきかしているから、めったなことはしないよ、と軽いノリで、一番下の妹のダンナが言う。「その関係者は、村の人間だからね、下手なことをすると村にいられないから、まあ、監視はしているけどね。」と言うことであった。
お茶を飲みながら、拘束されて帰ってきた友人の話、自分たちの今の状況に対する考え、日常生活への影響などの話しが次々飛び出す。彼らは自営業でもあり、昔から政府の腐敗などについてよく文句を言っていたが、今は各地での暴力行為を見聞きするにつけ、先鋭的ではないにしても「反政府」的な物言いに拍車がかかってきたようである。
また、彼らは隣村やその近辺の村は一種の独立国みたいになっている、と言っている。その話しは夫からも聞いていた。シリアという国は歴史的にそうである。現在でも表面を覆うカバーを取り除けば、モザイク状の部族社会が顔を出す。部族色の薄れているところもあるが、まだ村落部は基本的にはこの単位でコトが動いているのである。
考古学では、国家形成プロセスの研究は最も重要なジャンルである。しかし書物に書かれるセオリーは、無辜の人々の血に触れることはない。
不幸にも、生身の歴史とは、それを体験せずには済ませられないのだ、とBGMのように流れるアル・ジャジーラの報道を聞きながら思った。