2012-03-30

アレッポの爆破事件


2月10日。

夫が亡くなって2日後の金曜日。早朝に親族で墓参りをした。墓と言ってもまだ墓標もない土饅頭の上に、乱雑にオリーブの木の枝が置かれているだけで、なんとも殺風景である。この墓のすぐ脇に住んでいる義妹は、昨日も今日も、朝方、コーヒーの好きだった夫にコーヒーを運んで来た、と言っていた。

墓参りを済ませ、家に戻り、弔問客が来るまでに朝食を済ませようと、用意を始めた頃であった。

「ドーン」と言う大きな爆発音とともに、振動を感じ、窓ガラスのきしむ音がした。

びっくりして反射的に窓のところに寄ったら、南の方角にあるモスクの方に大きな白い煙が上がるのが見えた。煙はどんどん高く上っている。爆破?!まさか?! あの方角には大学がある。一瞬、大学がやられたのかと思った。時計を見たら、9時ちょうどであった。

みんなはおどろいて一瞬緊張したが、再び平静に戻り、朝食の支度を始めた。私は、とりあえず今見たことを大使館に伝え、無事を報告したほうが良いだろうと考え、まずは担当官の携帯に電話しようとした。

しかし、携帯は通じていなかった。何度か試みたが、通じないので、しばらく置いて、家の電話から、大使館の地上電話にかけた。しかし、金曜日で留守電になっていたので、無事を伝えるメッセージを残すしかなかった。

11時ごろようやく電気も来たので、テレビをつけると、シリアの国営放送が爆発現場の中継をやっていた。この報道で、場所は大学よりもさらに南にある治安機関の建物と、空港へ行く道にある別の治安機関の2箇所で、ほぼ同時に爆破されたことがわかった。私には一つしか音が聞こえなかった、と言うと、夫の息子は、「僕は2つとも音を聞いたよ」と言っていた。彼は外にいたらしい。

放送では、現場の惨状や被害者の遺体などが生ナマしく映し出されていた。子どもの死体もあったとのレポーターの報告に、皆、「あんなとこに金曜の朝早く、子どもがいるわけないじゃない。」と口々に言う。

皆、国営放送の言うことは常に眉にツバをつけて聞いている。勿論、爆発は確かにあった。私たちはこの目で見たのである。しかし真相がなんであるのか、誰も確かではない。

確かなのは、アレッポでもついに爆破事件が起きてしまったと言うことだった。

テレビの画面では、インタビューを受けた人たちが、この無差別テロを口々に非難している。

それを見ながら、夫の「危ないよ」という声が再び耳に蘇った。