2012-03-26
別れ
2月8日。
朝9時ごろ、まだ迎えが来るには早いかな、と思いつつも用意をしているところにハムドゥからの電話が鳴った。もう下に来ているという。今日に限って奈々子も連れて降りてきてくれと言うので、娘をせかして下に下りた。
通りに出ると、ハムドゥが、病院とは反対の方向に行くタクシーを止めた。「あれ、どうして」と言いかけたが、黙って乗り込むと、すぐに500mばかり先にある夫の息子の家の前で止まった。私が不審な顔をすると、ハムドゥは「降りて」と言った。「どうして」、とまた言おうとしたとき、ハムドゥが搾り出すような声で、「おじさん、亡くなったんだ」と言った。
言葉が出なかった。周りの風景が沈んでいくのを感じた。
タクシーを降りて家のほうに近づくと、夫の弟のFが歩道のところに立っていた。ふらふらと近づいていくと、Fの悲しそうな顔がうなづいた。何のしるしか、わかりたくなかった。彼に何かを言おうとしたが、声にならなかった。「行ってやってくれ」と彼が短く言った。
何がなんだか、わからなかった。奈々子がついてきているかどうかを確かめたような気がする。
何をしていいのかわからないが、機械的に階段を上る。階段を上ったところに泣き顔の息子がいた。どうしてみんな泣いているのだ。それが不思議な気がした。
家に入ると、親戚の女性が大勢いて、泣いている。夫が中央に、毛布にくるまれて横たわっていた。妹の一人が手を取って、夫のそばに寄らせてくれた。触ってみると、まだ暖かかった。まだ、何が何かわからなかった。唇に、チューブを入れたときの傷がまだ残っていた。
みんなが泣いているから、泣いた。だけど、まだ信じていない自分があった。しかし、涙が止まらない。現実感はなかった。なぜ泣いているのか、自分でもわからなかった。顔を近づけたら、懐かしいにおいがした。まだそこにいるじゃない。何も変っていないじゃない。
ふと、目を上げると奈々子が立って泣いていた。そばに寄せて肩を抱いた。
別れと言うものは、こんなに突然くるものなのか?これが別れなのか?喉から声にならないものがこみ上げてくる。
一時間ばかり経っただろうか。葬儀の用意をする人たちがやってきて、外に出るように言われた。外に出たら、ハムドゥがいた。
「昨夜、起き上がろうとしたのは、さよならだったんだろうか?わかんなかったよなあ」と言って、嗚咽した。
近くのモスクから「故人ハミード・ハンマーデのためにファタハを(コーランの一節)・・・」という呼びかけが聞こえてきた。夫の名前が他人の名前のように聞こえた。