2012-03-04
アレッポへ
2月5日、午後2時半頃、ダマスカス空港に到着。空港自体には、取り立てて緊張している雰囲気はなかった。通関も普段と変わりなく、ただ、ひとつ以前と変っていたことは、外国人がいないことだった。「外国人」のパスポートコントロールのところにいたのは、アラブ系だが、外国パスポートを持っているらしい人のみであった。
国内線のチェックインを済ませ、再びパスポートチェックを受けて、搭乗口に向かう。その前にアレッポで今回世話になる友人に電話をした。懐かしい暖かい声の「お帰りなさい」が聞こえた。しかし、そのあとで、医師である彼女は、すぐ「ハミードさん(夫)の容態は何もあれから変化がないわ。でも、良くなる見込みはほぼないと考えるしかないみたいなの。」と正直に言ってくれた。覚悟はしている。だけど、やはり心臓が凍りつくような気がした。そして、にも関わらず、望みは捨てない、そう心の中で繰り返した。
搭乗待合室に入る前のチェックは、かなり厳しかった。全ての乗客の身分証明証、あるいはパスポートを預けなければならない、と言われた。アレッポに着いたら返すと。こんなことは、今まで一度もなかった。バッグに入れていたカメラを見て、「ジャーナリストか?」と言われたので、そうではない、と答え、事情を簡単に話した。シリアでは不足しているかと思い買ってきた電池のパックは、「危険である」と押収された。そして、ボディーチェック。かなり念入りにチェックされた。
待合室では、みんな押し黙っている。飛行機に乗っても、皆静かだった。ただ、私たちの後ろの席に座った数人の若者だけが、あまり好ましくない態度で、アレッポまでのフライトの間中、声高にどうでもよいことをしゃべっていた。方言から、シリア北東部出身者のようであった。周りも、彼らの態度にいらだっていたようだ。アレッポに着き、座席を立つ段になり、ひとりの男性が、最後にたまりかねて彼らをたしなめた。
飛行機をおり空港に入ると、身分証明書の回収のための人だかりができていた。パスポートは私たちだけだったので、私たちの前にいた男性が、「パスポートはこっちだよ」と促してくれ、「そのパスポートはこの外国人のだ。早く渡してやってくれ。」と係員に向かって叫んでくれる。こういうところはかわらない。こんなシーンが少し私たちを和ませてくれる。
しかし、パスポートを受け取って、ゲートに向かいつつ、現実にもどる。あんなに帰りたかったアレッポなのに、現実に直面するのが怖かった。