2012-03-06

アレッポ市街への道


荷物を受け取って、出口を抜けると、友人の旦那さん-Nさん-が向かえに来てくれていた。やはり、いつもの優しい笑顔があった。しかし今回の「元気?」「おかげさまで」という決まりの挨拶は、お互いに力のないものだった。

外に出ると、やけに埃っぽかった。荷物を車に積んでいると、駐車場係りと思われる人が近づいてきて、ここは「駐車禁止場所だ」とNさんに「苦情」を告げた。Nさんは、他に場所がなかったからね、と言い訳をしつつ、いくばくかを彼に渡したようだった。

車に乗り、アレッポ市街へ向かう。道々、Nさんが今の状況を話してくれた。彼の話から、シリアが、アレッポが、違うものになってしまっていることをじわじわと実感し始めた。これ以前から、電話やメールを通して友人や夫から聞いていた現状が、まさしく本当、いやそれ以上に劣化していることを具体的にNさんから聞くことになった。

まず、電気やガス、燃料のこと。電気は、アレッポ市内西部地区、比較的恵まれた地域は毎日4時間から5時間の停電だが、下町やいわゆる貧困層の多い地区は毎日10時間電気が止まるようである。

ガスはプロパンで、普通は公定価格は350ポンドだが、ヤミで500~600ポンド以上は出さないと入手困難。ガソリンも公定では1リットル50ポンドだが、ヤミでは75-80に達している。暖房用の燃料であるディーゼルは公定1リットル15ポンドのところが、ヤミでは倍の30ポンド、あるいはそれ以上で、ガソリンにしても、ガスにしても、ディーゼルにしても手に入ればいいほうである。

そして、市民は新聞をにぎわす銃撃戦よりも、誘拐を恐れている。極めて身近な人たちが、かなり公然と連れ去られたりしているようである。

車の盗難や、車中にあるものの盗難、破壊も頻繁にあることも教えてくれた。彼のもう一台の自慢の車は、今は貸し車庫に預け、使っていないこと、使おうと思っても、ガソリンの問題があることをひとしきり言ったあと、「何がなんだかわからなくなったよ」とつぶやいた。

私たちは、埃っぽい道路を見つめながら沈黙した。だんだんと近づいてくる町の明かりが、ひどくぼやけてみえた。発掘をやっていた当時、ユーフラテス川沿いの小さな村から数ヶ月ぶりに帰ってくると、アレッポの町の光は別世界のように明るかったのをぼんやり思い出していた。

ぼやけた町の明かりの中のモスクの緑の光に、ふと我に返った。

それでもアレッポに帰ってきたのだ。